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アヴィラティ

その後。


6)アヴィラティ अविरती

感覚的な快楽の中毒、欲望


ああーここにはまってた!と気づく。どう変わってくかなとか、知りたい知りたいという気持ちが、欲望と化してたのねー。方法に囚われたりしないでくださいーってところだー!

なんだか、すごいなあー。

本当に全てがお見通しというか・・・。ヨーガの世界はすごい!さすがだわ。囚われずに、波長を合わせることに意識をかたむけよう・・・




by nu2meg | 2019-03-25 10:18 | yogmataji

サマディについて

ヨグマタジのブレッシングをいただいて、至福(blissful)な状態を体験してその後、クンダリーニが明らかに活性化されている。

数年前にも少しこんな感覚があったけれど、明らかにクンダリーニ。
呼吸法がクンダリーニとどう関わっているのかが「なるほど」と感じられる。
ヨグマタジの導きで、勝手な呼吸法で刺激することなく、とりあえず日常の中でゆっくりと日常的なものにしていければなと思っているので、意識を向けない限りは至福とクンダリーニエネルギーのエクスタシーな感覚にとっぷり触れることも敢えてしていないのだけれど(笑)

さあどうなるかなと、展開を楽しみにしつつ、クンダリーニヨーガが求めた部分をなるほどと思ってみたり。笑(一回しかレッスン出てなくて、私にはいいやと思ってしまったのでそう多く語れないけど)

プラナヤーマ(呼吸法)は本当に勝手なことをすると危険であると言われていて、インスティチュートの集中講義をうけていた生徒でも、やりすぎて危険な状態になった人が過去にいたと聞いた。

私はプラナヤーマよりもエネルギーに直接コネクトする方がエネルギー吸収早いやと感じちゃっていたので、真剣にプラナヤーマを練習していないのだけれど、ガツンガツンに練習して火の呼吸とかしなくても、エネルギーがもうすでにそこにある場合は軽くで濃縮されたエネルギーが上昇するのが体感できる。


米国に来てすごく実感しているのは、西洋人がヨーガを言語化したことでヨーガが広がったんだという現実。東洋人は見て学ぶ。言葉にしないで自分の体験として学ぶという姿勢で伝統的な技を受け継いできたけれど、西洋人はそれを全て言語化することで技を広めていく性質を持っている。

言語化する段階で間違って伝えられることもあるだろうし、自分が体験していないのにそうあるだろうと伝えてしまうこともできるから良し悪しではあるけれど、どちらの要素も持ち合わせる日本人でいてよかったなとも思う。

日本人の私たちももう西洋的な学び方に慣れてしまっているので、意味がわかることは大きな意味を持つし、それが故にそこに固執してしまうこともあるけれど・・・


ちょっと懐かしくなって、ヨーガスートラのアンタラーヤについて学んだ部分を読み返してみた。(このブログに書いたものがあったので)

チッタ・ヴィクペシェパス(アンタラーヤ)

ヨーガの道を進む上級者が面する足を引っ張る9つの心の状態。

1)ビャーディー ब्याधी

病気;病気になると、集中もできない。食事の内容・量・食事中の態度に気をつけないといけない。

2)スティヤーン सत्यान

わかってるけどできない!知識と行動が伴わない。

3)サムシャー समस्या

疑い:これでいいのかと迷って正しい決断ができない。

4)プラマーダ प्रमाद

物質的な快楽に溺れてわれを忘れる。

5)アラーシャ अलस्या

タマス(鈍性)のエネルギーが強く、面倒臭くなる。

6)アヴィラティ अविरती

感覚的な快楽の中毒、欲望。

7)ブランティーダルシャン भ्रांति धर्शन

特にヨーガの過程で超能力を得ることによって、もう十分に到達すべきところまで来たと勘違いしてしまうこと。

8)アブラダブミカトゥワ अलब्धा भूमिकतवा

もうここまで来たから、最終段階に届いたのだろうと勘違いし、最後の一歩を踏み出せないこと。

9)アンナワスティタトゥワニ अनावस्थी तत्वनि

到達したのにも関わらず、その状態を維持できないでいること。サマディーをも目的で無くなることで本物のサマディに到達する。


これを習った時、そのままサンスクリット覚えなさいと言われて、この最後の3つがあまりにも舌を噛みそうな響きでひょえーっという状態ながら、このノートを見なくても覚えていたのが最後の3つ。しかも意味合いも一番気になっていたこの3つ。だって、そこからがえらい長いプロセスに感じられたから・・・。

ブリスフルな状態を体験してみて、ヨグマタジに導いてもらえば、サマディを今世で体験することも本当にありえるのだと思ったのだけれど、アヴィラティってクンダリーニなエネルギーに伴う?きっとそうだよねー。

そしてその後訪れるだろう、ブランティーダルシャン。

世の中の「私は誰それの生まれ変わりである」という多くのグルやスピリチュアルマスターはここにいる??
うーん。なんとなく黒いエネルギーなサイキックな人々はここ止まりだろうな・・・

ライトワーカー的な軽さがあれば、アブラダブミカトゥワまでは行っているのかな?

体験談なしにはこれはもう段階を区切るのも難しいけれど、ブリスな状態からまだまだ深い修行が始まるということはよくわかる。


自分は全て知っていると思ってしまったら、やっぱり人って誰かに教えてもらおうともしないものだし、どんどん自分が一番わかっていると固執してしまうんだなというのは、ヨーガのインストラクターにも言えることだと思う。

まだまだ学ぶことがあるという姿勢は、最後まで持ち続けたい。


サマディーにも段階があって、最も最高レベルに達した人だけが、体験として自分の歩んできた道の道しるべを示すことができる。

サマディ自体は体験ですらない(こころがないので、体験というレベルではない)とおっしゃるのだから、そのレベルに達するってもう本当にミラクル。

オープンに道しるべを示してくださるヨグマタジに感謝。

私のイメージでは、その道しるべって、光の柱のエレベーターみたいなもの。
心という重さ、カルマの重さを取り除くことができたら、ふわっと上に上がっていける。
そのスピードはそれぞれ違うけど、平等に与えられたチャンス。

いつかサマディレベルまで上昇してみたい。
多分、可能だと思う。
わくわくするなあー。


by nu2meg | 2019-03-23 12:07 | yogmataji

心の曇りが晴れる、カタカムナ・ピラミッド

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日本にも古代から伝わる(というかちょっと封印されてた?)マントラがあるというのを聞いて、へえーっと興味を持ったのがカタカムナ。

マントラ(真言)といえば、オームチャンティングをはじめとする、サンスクリット語とか、般若心経とか・・・

でも、言葉を聞いてもピンとこない。
もちろん、それでもなんだかすごいエネルギーを感じたりはするし、オームチャンティングはすごく大好き。

オームというのは、NASAが太陽の発するバイブレーションの音型そのものだとも言っていて、多分太陽系に住む私たちには、生命の源の音に等しいのだと思う。

初めてオームを唱えたのは、ロンドンでのメディテーションクラスだけれど・・・
その時に、自分の喉を通して何かがエネルギーを発している・・・私の体はただ単に楽器のようだ・・・と感じた。

西洋、現代社会において、ちょっと引いてしまうオームチャンティングだけど、インドでは結構普通で、ヨーガクラスにオームチャンティングがないのはありえない。外でヨーガしている人が一人でもオーム唱えていたりするし。

私は肺活量がない。
多分ロンドン時代の初期に肺をやられてからだと思うけれど、風船を膨らますことがむずかしいくらい。

でも、オームチャンティングすると、息が長い。
本当に自分ではなくなる。
その感覚が気持ちいいので、オームだけでエネルギー充填オッケーとすら思っているのだけれど・・・

和のチャンティングって興味深いから買ってみた。
アメリカのビザを取りに日本に帰った時に。
そして、その中に付録みたいなページがあり、コピーして使ってねみたいな、親切なコーナーが。

引っ越しでプリンターのケーブルが紛失・・・などのトラブルもあって、なかなか環境が整わなかったのだけれど、ようやくとりあえず一通り揃って、隙間時間を運転免許に・・というのもなくなり、プリントして作ってみました。

  手のひらサイズのピラミッド!

2枚を合わせて作るというもの・・・
そして合わせたその瞬間・・・

ええええー!ってくらい、すごいエネルギーにびっくり。
驚きました。

このピラミッドのアイディアは、著者である丸山医師が、夢の中でカタカムナの神様に作るように言われたものらしい。(10あるらしく、そのうちの一つが付録)

あまりにもすごいと思ったので、近くにいた娘に渡してみると、何も知らない娘も
「なにこれ?なんか、電気とか走ってる?」
といい、翌朝息子の手のひらにのせてみると、息子も
「どうしたの?え?なに?これ・・・なんか入ってくる?スーッとする」
えええー?ただの紙なの??と驚いてくれた。

あああ。こういう時に義父が生きていたらなあ・・

とにかく、手のひらにのせるとサーっと清められて行くのがわかる。
発しているエネルギーフィールドも軽く5メートルくらいはある。

すごいわー。

魔法みたいな奇跡の言葉 カタカムナ

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ピラミッドの4片にはカタカムナの詩?が一つずつ、もともと立体のイメージをもつものになるべく忠実にと記されている。(ぱっと見たら曼荼羅)しかも二つ合わせると、裏表を共有する形で・・・・(これじゃなんのことかサッパリわからないだろうけれど・・・本を読んでも難しいのだけれど、文字はそれぞれ裏があって、その裏が表の文字と陰陽のバランスを取り合うことで、すべてがバランスよく中庸にある・・・というイメージ。)


カタカムナ自体が、ヨーガでいうスートラ。
短い文の中に、真理が詰まっている。

実はニューヨークに滞在中から瞑想のたびに、心の中で唱えていて(あまりにも不思議なので、こどもに怪しがられ・・笑)唱えているうちに、やっぱり日本語のルーツであるばかりに、ふと言葉が意味を持つことにも触れたりする。

本の中でも解釈が書かれているのだけれど、
たとえば、7首

マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ
(そう。こどもたち曰く、まるで百人一首を聞いているような・・・)

勾玉の ・・中3つは、神様の名前 ミスマルノタマは癒しの場を示すのだけれど・・

全てにおいて中庸であれ。
中庸であれば神の恩恵を受けられるのだから。
誰が正しいも正しくもないのです。
内側に中庸でいられるスペースをつくりなさい。
そしてそのスペースの中に身をまかせるのです。

という風に聞こえてくる。
多分、内側には暗号的にダブルミーニングとかあって、更にすごくすごく深いのだろうけれど・・・

でも・・これって、ヨーガと同じ本質。
精神的な部分はすべて同じ。どこからみても。


正しいのはこっちだ。あっちだ。
と、くっついて執着してしまいがちな心だけど。

ちなみに80首あるらしい。
(3つだけ覚えるといいよというのしか触ってないけど)

上の写真の細長いのは、丸山医師が治療で患者さんの背骨に貼るものとおなじらしい。(超面白い、幸せな病院じゃない?行ってみたいー。)コピーして作ってみると(つなげるだけ)ちょうど背骨の長さくらいあるのね・・・さすがだ!

こういうのを公開してくれてしまうというところに、医師の素敵な人柄を感じる。
ちなみに、本の中ですごくなるほどと思ったのは、自分の直したいと思っているところにフォーカスしすぎないでということ。

直したい気持ちが、ヒーリングの妨げになる。
まさに、直したければ、忘れなさい・・・。
心が執着しているということ。。

ふかいわー。

by nu2meg | 2018-10-04 03:45 | サイキック・スピリチュアル

とうとう占い師。

遠隔リーディング歴も14年ほどになるけれど、ほとんどが口コミかリピーターさん。
こういうサイトから幅を広げるのもいいかなとココナラさんに登録してみました。
なんだかいろんな人がいるのねとびっくりもしつつ・・・笑

ええー!とうとう、占い師デビューですか!という感じ。
(カテゴリー的にはそうなんだけど、占い師とは自称しないし・・笑)

数多くこなせないから、バリバリ時間を割くことはできないけれど。
いや、あと1週間なら時間だけはある?笑(こどもがまとわりついてて集中できる環境ではないな。)


ここから直接リンク・・・入るかな?
なんだかうまくできないー・・・



*手数料の関係で値上げに見えちゃいますが。

by nu2meg | 2018-08-25 00:27 | タロット

ネガティブな気持ちを愛でる

ふとfacebookに投稿した記事。追記つき保存版。


先日、別用もあって初めてのヨーガティーチャーの指導のもとにヨーガ体験。

ヨーガっていろいろなスタイルがあるから、全ては学びだとオープンでいたつもりだけど… 終了15分前に、グイっと捻ってポスチャー直されたと思ったら、その勢いで間髪入れずにガツンと押されてちょっと筋肉捻られた感…っていうか痛い〜!まだ反対側が残ってるから、どうにか元に戻れるんじゃないかと期待したけれど、痛みは深まる一方で・・・

背骨じゃなく筋肉がブチっという捻り。散々、筋肉の仕組みとかを色々とレクチャーして頭から入るヨーガだなあと思っていたけれど・・・・しかも、「準備ができてないのに云々」と本人が言っていたけれど・・・ぐいっといきなり捻られて、身体が全くリラックスできていない状態で押されたらどうなるか・・・ちょっと考えてよ!!!


とはいえ、スタジオオーナーのメインティーチャーに対して、さすがに堂々と文句も言えず(生徒さん多いしね) 心の内でもう2度と来ないわと思った…

もし本人に、レッスンどうだった?と聞かれたら、実はこうこうで・・・と言おうかとも思ったけれど、そんなのはどうでもいいらしく・・・訴える機会なし。泣き寝入り?わたし、通常結構言いたいことはいう方だけれど、こういう時って敢えて言わないというか、言えないというか、自分の気持ちに素直ではない・・・逆に、自分のことじゃなくて、誰かのこととか代弁ならついつい口出しちゃうんだけれど・・・


そう言えば前にも、別の先生のヨーガで身体痛めた…いわゆるパワーヨガらしいんだけど・・・たった1時間のレッスンでも簡単に身体故障できる…何時間でも疲れないレッスンと大違い💦


さて2人の共通点。
ヨーガの精神的な部分の深さよりもカタチ。

それぞれのペースと言うよりも、押し付け。

そして何よりも、内側にスペースを作ると言う時間を与えてくれないこと。


要は愛が足りない!


うすうすとそんな気持ちを抱いてたから、敵対心感じられてグキっと押されたのかもしれないけど…


心地よいヨーガ。
終わった後に疲れるんじゃなくて、エネルギーで満たされるヨーガ…


どんなインストラクションでも自分で気をつけてたら…と思ってたけど、やっぱりそう言うわけには行かず。多分、スタジオの中の気の状態にもよるのかもしれないけれど・・・

チャンティング1つにしてもカタチだけだと今一歩、身体から吸収されるエネルギー量が違う。

何が足りないって、愛が足りないんだなあ…大きな源に繋がってないんだな〜とつくづく。


でも、ここで彼女に嫌な感情を抱いても解決しないのが世の中の仕組み。(実際のところこれがネック。この感情は自分に跳ね返ってくる)かと言って ネガティブ感情を真っ向から否定して抑えるのも違う。嫌は嫌で良い。


ポジティブシンキングよ、さようなら。


そんなこんなで、今回その後に、嫌だという感情を、とことん味わいました。

あんたみたいな指導者ってあり得ないーとか、アメリカ人なら裁判沙汰だよーとか、まず温かみがないってダメでしょ?とか、こういうところ、嫌だって部分を。。

わたしはそうしないし、なりたくないーっという気持ちが出て、でも実際に、ふとした間違いで、同じことだってあるかもしれないとふと気づく・・・

だって、本当に生徒を気にしていなければ、指導しようなんてしないし。元々はきっと同じような志だって持って、スタジオオープンしたわけだし・・・


そうだ。その結果がどうであれ、良かれと思って捻って押してくれたという愛は受け止めるべき。

実は、彼女にも愛を送ることが必要なんだと気づく。


そしてそう言う流れに気づくと不思議と痛みが軽減されて行く…

痛みだけでなくて、嫌な気持ちも消えて行く。

人に感謝しないといけないという動機からでなく、自然に湧き上がってくる感謝したくなる気持ち。この感覚に気づかせてくれてありがとう


これはここのところずっと深く深く思っていた「ネガティブな感情にも愛を」という部分で、全ての感情をありのままに受け入れること・・・

私たちは基本的にどこかで「いい子」だから、ネガティブ感情を否定して育ってきているはず。

転んでも、痛くない。意地悪されても、責めちゃいけない。嫌いだと思っても、そんなこと思ってもいけない。

その、「いけない!」のバッグがパンパンに詰まってて、無理がたたって、どんどん自分が嫌いになる。どんどん、自分に自信がなくなる。

わたしの場合は、「嫉妬」とリンクしてその感情が多かったらしく、人を羨ましいと思ってはいけないというベースがあるから、あまり人を羨ましいと思ったことがない・・

・・と思っていたのだけれど、実は最近「いけない!」バックの中にたくさんの嫉妬が入っていたことに気づいたところ。もしかしたら、いろいろなシチュエーションにおいて、この嫉妬という部分がリンクしていたのかもしれない。

今回、無理矢理に嫉妬をこじつけると、自分のスタジオを持ってやりたいようにできている人ということにもなる。(自分の理想とスタイルとはちょっと違うにしても)それなら、こうあるべきじゃないとか、自分ならこうするとか、それって結局嫉妬(比較からの感情)かもしれない。

いろいろなことがクリアーになってきて、どんどん重い荷物をおろしている時期だと感じるけれど、今回の痛み、いい体験でした。

月曜に傷められ、月曜の夜は寝るのが辛いほどだったけれど、夜中にあれこれ瞑想内観およびEFTしながら手放せたら、火曜の朝には結構スッキリ。それでもヨーガはちょっと休憩かな?木曜にヨーガ教えるの無理かなと思ったけれど、結構大丈夫に。

多分。。
この感情要因にフォーカスできなかったら、まだ湿布貼って、会う人会う人に、ちょっと聞いてよーってついつい「陰口」も発していたのだろうと思う。

不調になったら、それがいくら感情的な要素なんて関係ないように見えても、そこには必ず感情とのつながりがある。そこにさえなるべく早く辿り着ければ、バランスは取り戻せる。

ポジティブ思考から、ニュートラル思考へ。
そのために、ネガティブ思考を愛おしもう!

😊


by nu2meg | 2018-03-02 00:56 | ヒーリング

ヨーガの効能

まだヨーガを本格的に始めて数ヶ月だけれど、継続は力なりな効能を感じずにいられない今日この頃。

インストラクターの勉強をする前にも週4でヨーガインスティチュート行っていたけれど、やっぱり今になって思うと、あそこのレギュラークラスでは物足りなかった。セッション自体は好きなのだけれど。レギュラークラスにはないプラスαのアドヴァンスクラスがあれば素敵だと思う。

インスティチュートの基本はどの歳でも恩恵を受けるヨーガスタイル。じっくり丁寧にすれば結構いい感じなのです。(でもそれだけの時間が1時間ではちょっと無理。自分でするときには、インスティチュートスタイルのアサナもじっくり時間かけるので効果大な感じです)去年は、ヨーガに週4で通っていたけれど、運動不足を感じて、このままじゃダメだなあと体感し、好きでもないジムに行ってみたりもしたけれど、ヨーガを本格的に始めてからは、もうこれで運動も十分と感じるレベルで適度に筋肉も使っている感じ。一人でマンションのヨーガルームに1時間以上こもってたりもするけれど、もう逆側のジムには足を踏み入れてません・・・

そうそう、去年はインドに来て一気に日常的に歩かなくなって、運動不足から足がダルい・・・やばい、おばさん並みだーとか思ったもんね・・45歳にふさわしい体調だったかもしれないけれど・・・ヨーガでそれも一気に解消。肩こりもほぼないし、おかげで枕の位置が変わったらしく、適切な枕がどれなのかわからない・・・。

当初は全く不可能だった、ウストラナーサン、らくだのポーズとかもできるようになって、かなり「できないアサナ」の中に可能性を見つけて、広げていく・・・という理想的な上達も。制限があること、その中に可能性を見つけることがヨーガの醍醐味っという感じ。相変わらず、まだまだ身体は理想の10代の頃の柔軟さとはほど遠いけど・・ブリッジなんて人生で初めてトライしたけれど(娘たちは普通に学校でやってたけど、私たちが子どもの頃は?なかった)足の位置や手の位置がきちんとしていれば、なんとかできたりするものなのね・・・(もちろん、改善の余地はたっぷりだけれど、全くできないと思い込んでたから、自分でびっくり。インド人に至っては、でんぐり返しだって子ども時代の必須じゃないらしく、この歳で初めてでんぐりがえりーみたいな世界・・・)

話がそれだけれど、いつぞや、インスティチュートでワークショップを取った時に、「ヨーガは毎日してなんぼです。週4回では、ヨーガをやっているとは言えません・・・」みたいなことを聞いて、『ひえー。毎日?』と思ったけれど・・・今じゃその言葉がよくわかる。

だいたい、日本やイギリスに住んでいて、私毎日ヨーガに通ってますなんて人に出会ったことないし、通常クラスって週1とか?週3でヨーガとかも聞いたことないかも・・・なのだけれど、インドでは普通に個人レッスンも週3とかで行われている。(グループレッスンの方が少ないかも?友達のヨーガインストラクターのほとんどは、プライベートレッスンで生活してます・・・)

今後、どこかでヨーガクラスをやっていくことになると思うけれど、リーゾナブルな月額決めて、1ヶ月毎日来ても大丈夫なスタイルで、ほぼ毎日参加を勧めたいと切に思うってしまうほど、ヨーガが日常の一部となった私。

そして気づいたこと。

とにかく、地に足がついた感が大きい。
朝起きての第一歩が違うというか・・・笑
今まで浮いてたのか?と思うくらい。

そして、すっかり日常になってしまったので、旅行などでスペースが探せずにできなかったりすると身体が反応する・・とにかくシャキッとしない。

基本的には朝起きてのんびりとスーリアナマスカール(太陽礼拝)は欠かせず。寝る前もゆったりスーリアナマスカール。中間に時間があればあれやこれややっているけれど、個人的にはこのスーリアナマスカールをゆったりとヴィジュアライゼーションしながらするというのにはまっている感じ。あとは弱みであるエリアを広げること?

注)基本的に、スーリアナマスカールはかなりスピーディーに一呼吸ずつで一連の流れを追った動きを示すのだけれど、私はどうもそれは苦手というか、気持ち良いレベルに達しないので、ゆったりペースでエネルギーチャージしてます。

数日しないと体が不調を感じる。
今まで習慣でもなかったのに、不調まで行くか?という感じなのだけれど、それだけヨーガで気を流しているから、流れないことが身体にとっては不快らしい。身体がとっても繊細になってきているともいうのかな。

それは腰痛っぽさで現れたり、なんとない重さだったりして、ヨーガをするにはちょっと億劫なイメージすらある体調だったりするのだけれど、そこで体を休めるのではなくて「できるだけでいいや」とヨーガをすると、あれあれスッキリ・・・という感じ。

偶然かなと思ったけれど、数回体験してみてやっぱりヨーガで復活できるとわかったので、これはしめたという感じ。

なんで今までやってこなかったんだ??と思うくらい。
人生で数回、ヨガには出会ってるんだけれど、ハマるまで行かなかったもんね・・・やっぱり出会った先生が良かったんだと思う・・・

ここまでくると本当によーくわかる。
毎日するからこそ意味があるという意味が。

しかも、やらなきゃじゃなくて、
気持ちいいからする。
シンプルないい習慣。
朝の時間にそのゆとりが欲しくって、毎朝5時起きだけれど・・・

伸ばす。
力を抜く。
リラックスする。
背骨を意識する。
さらに伸ばす。
ぐんぐんと内側にスペースができてくる。
心地よさを大切にしてさらに伸ばす。
内側に流れるエネルギーを感じる。
呼吸とエネルギーのシンクロを楽しむ。
・・・

エネルギーの循環を呼吸に合わせてイメージしたり、ヨーガとヴィジュアライゼーションが融合して、とっても瞑想的なゆったりヨーガ。自分の中でもどんどん進化しながら、教えてます。(と言ってもまだ2ヶ月弱で、ほとんどは、学校でやってるボランティアのクラスだけれどね。たまにお仕事として個人レッスンもしつつ。)

最近はネットで見つけたいろんなヨーガの先生のクラス(基本的に西洋で行なわれているヨーガ)を見たりもしてみるけれど、やっぱり私に必須なのは、「力を抜く」というシンプルなアクションだと確信。

いろいろインフォーマティブで、経験のある先生でも、生徒に「力を抜く」という時間を与えてないクラスは非常にもったいない・・・どんなに瞑想的な要素が入っていたとしても、その部分があるないで全くエネルギーが違ってくるし、生徒のエネルギーもサバイバルエネルギー化していて見てて苦しい。

もう一つ気付いたのは、インストラクター自らがやっている場合は気持ちよさそうでも、生徒に教えている時には、生徒が辛そうに見える場合があること。多分、一言の声かけが生徒の中のスペースを広げる一言になるのだろうけれど・・・それが足りないと、非常に残念。あえて柔軟でないところからのスタートってその点でもメリットを感じる。

偉そうに言える立場じゃないけれど、ネット配信利用ってこの時代を最大限に生かしたヨーガの練習法だわーっと思いつつ。(もう直ぐまた毎日のレッスンが始まるからこんなに時間取れないと思うけれど、とりあえず数ヶ月は受講料払いつついろんなスタイルに触れてみたい。)

内側からエネルギーが満ち溢れてくるようなセッション。
実はそういうレッスンにはほとんど出会いっていないけれど・・・ああ、この先生のこういう部分はいいなあというところはとっても参考になる。ヴィジュアライゼーション的なことも、やっぱり東洋よりも西洋文化なので、取り入れている先生もいてインドのヨーガとの差を大きく感じるし。(良い悪い抜きで)

兎にも角にも、ヨーガはとことん自分の内側に入る作業。
一人でやっているのと、教えるのではやっぱり違うのだけれど、(教えながらついつい自分の世界に入っちゃうし。笑)グループレッスンならグループレッスンの良さを生かして、エネルギーを整えていくことが楽しい。

ちょっとした時に思い出して、隙間時間にやりたくなるようなシンプルなヨーガ。
自分で体調を整えるツールとしてのヨーガ。
半年前までこんなにハマると思っていなかった世界なのだけれど・・・人生はこれだから面白いと思うし、これからどう展開していくのか楽しみ。

by nu2meg | 2017-10-26 00:53 | ヨーガ

ヨーガ・カウンセリング

せっかくだから、これはインドにいる間に!
・・・と思っていた待望のコース、ヨーガ・カウンセリングのコースももう5回すぎた。(全部で3時間×23回 6ヶ月の予定。これまた先生曰く、予定は未定でコースは状況によっては伸びるらしい・・・本当にこういうのがインドらしい。。・・・ 実は5月から取っているアーサナ中心のインストラクター向けのアドヴァンスコースも、3ヶ月の予定が、3ヶ月半になり、まだ完璧さに欠けているから終わっていないゾということで、今は中休み中だけれど10月に終了期未定で再開予定・・・笑 週5で1日2時間のコースなのに、そんな融通効かせるってどうよ?? みんなよっぽど時間があるのか、予定がないのか・・・すーっかりドタキャン当然なインドにも慣れてしまったし・・ )

さて、カウンセラーのコース、これまでの学びの集大成とあって、「まとめ」な感じすぎて、正直言って土曜の朝3時間が眠たいのだけれど(笑;緊張感なさすぎ。しかも人数が30人とかいる大所帯だから今までみたいに急に名指しで当てられることも少なく、発言大好きなインド人に任せておけば十分討論も進む・・・とにかくインド人、賢い上自己主張素晴らしいのです。)
さすがだなあーと思うのは、心理学者アイゼンクの流れを取って、「カウンセリングの良し悪しは、カウンセラーの人間性いかんによる!と割り切っていること。

とにかく自分の「思い込み」や「価値観」を取っ払って、相手の可能性や成長を信じる。
それこそが、カウンセリングの本髄であり、知識として今まで習ってきたチャクラの関わり方や、スワジヤヤ(自分を見つめること)による、人間としての成長がすべて。

カウンセリングのスキルはもちろん習うけれど、スキル自体に重要さを持たさない。
人間としての自分の成長・・・「ヨーガの本質に戻る」、結局はそこなのです。

ヨーガという言葉は、結局のところ「魂としての自分に繋がる」イコール「スピリチュアリティ」なので、ヨーガカウンセリングというのは、スピリチュアルカウンセリングということになるのだけれど、本当にこの先生はしっかりと地に足がついてて納得させられる。

そして話している内容は、やっぱり控えめにもコースインミラクル的でもある。
あんなにも、素晴らしく超論理的な先生なのに。
多分、彼はコースインミラクルには全く触れたことがないと思うけれど・・・
どんなアプローチをしても、そこにたどり着くというのがなんだかまた世の中のすごいところで、素敵だなと思ったり。

このコースは資格取得のコースなので、レポートなども毎週宿題の形で提出するのだけれど、最もインパクト大きかったのは、卒論的な存在として「社会に貢献するプロジェクト」を立て進めること。

その理由はいろいろあるのだけれど、基本、カウンセリングというのはコミュニケーションなので、周囲を説得してプロジェクトを立てるということは、力試しになり、自分を知ることにもなり、自分を成長させてくれるということ・・・

思いっきり「えー??」という感じで、最初はかなり私もなんでこんな面倒なコース取ってしまったの?と思ったけれど、実際に肝を据えて(こうすべきことになっていたんだからもう成るように成るさっと)進めてみると、勢いよく進んでる。

ああ、「結局は自分で無理とか面倒とかいう思い込み」で、人生っていろんなことを、「こんなのあればいいのに」と思っても、「自分からは何も始めていない」ことが多いんだという気づきがすでにあった。

「時間がない・・・」とか、いろいろ理由をつけているってことにも。
基本的に「しなくていい理由」はごまんとあるし。
なんで自分がと問えば、そうだよね、そんな必要ないよね・・・と。。

でも、1個大きなプロジェクトに手をつけてからの私はというと、もうなんだかすべてにおいて「時間がないから」とかいう言い訳は無意味に思えてきてしまって・・・、しかもあの4月の超多忙だった日々とそれ以降の毎日の密なスケジュールに慣れてしまって、忙しくても何とかなるよーと言わんばかりに、来るもの拒まずな姿勢プラス、じゃ、ついでにこれもやっちゃえってこと?みたいな雰囲気で・・・ 笑 

実際には忙しい!けど、特に忙しいとは感じていない不思議な感じなのです。(これが今に生きるの連続ってことかも??笑 時間の枠から外れられたかな?笑)

しかもヨーガがあまりにも日常の中にありすぎて、少なくとも1日に1−2時間はヨーガしないとスッキリしないし足りない感がある(教える時間は除く。自分でするのと教えるのはやっぱり違う・・)。それでもその時間はびっくりするほどゆったり流れている・・・今まで一体何をして時間を過ごしていたんだろうと思ってしまうくらい、時間の感覚が変化した感じ。


プロジェクトに話を戻すと。もちろん、自分の利益の為のプロジェクトではないから、プロジェクトに関しては、しなくていい理由は大ありなのだけれど、多分、もっと自分の身近なことであっても、同じように人って何かと理由をつけて自分の身を引いいているんだろうと何か本質に触れた感じ。(具体的でなくてわかりづらくゴメンなさい。すべては思い込み、特に「勝手に思い込んでいる制約」の中で縛られている・・・というところなのです・・・)

ヨーガ・カウンセラーの資格を取ったところで、今までのヒーリングのスタイルは変わらなくて、結局私はタロットの力を借りながら、自分の価値観を捨てて、クライエントのスピリチュアルな人生の目的や学びに視点をあわしつつ、カードを読むことになるだろうと思う。その人がどう生きるべきかの答えはその人の中にしかないという、自分がやってきたスタイルの確認もすでにできた感じですべてストンと入ってくる。

そして、このプロジェクトへ足を踏み入れることという大きなステップは、すでに自分の中に大きな種を植えてくれた感じ。たぶん、芽がでるのはもうちょい先だけれど、すでに何だか動き出してる感。


  そしてカウンセラーがいかにあるべきか。
    最も優れたカウンセラーとは・・・
    ・・・シンプルすぎます。

自分の「家族」をカウンセリングできれば、カンセラーとして最高レベル。

ほんとにね・・・
家族に対しては聞く耳持たない。きっとこう返ってくる。またアレでしょ?言わなくてもわかるから・・・と、雑な対応だこと。尊厳なんてどこへやら。リスペクトー!

家族イコール最も自分に近い存在。
きっと自分のことも雑に扱っているという証明みたいなもの。
もっと自分の心の声にも素直に向き合うことが必要で、特にネガティブだと思ってしまいがちな感情に対して、勝手にネガティブでダメと決めつけている自分に気づいていく必要があるなと思う。

すべての感情に対して慈しみを持つというか・・・
超難関トレーニング、立ち向かうしかない〜。
なんだかワクワクしてきた。笑


by nu2meg | 2017-09-12 00:59 | ヨーガ

アディ 病の原因

前回の記事を書いてから、ようやくアディが抜けた感じです。

痛みの原因は・・・もちろん、体がキチンと反応しないくらいの筋肉痛が表向きな理由だったのだけれど、さらにさらに深いところに、やっぱり残っていたのは「感情」

いかにも、「アディ」
病の原因は、どんな場合であっても、幾らかの「感情要因」がある。

これには、何度も何度も気づかされてきていて、気づくのが早ければ早いほど、深入りしなくて済むというところまでは体験上よーくわかっているのだけれど、かなりトリッキー。マインドってすごいのです・・・自己防衛機能というか・・・結果的には自己防衛できてないどころか、不調を迎えることになるのだけれど。

「感情要因」
それは、ネガティブ感情を持つことによって、その負のエネルギーを自分にまとうという仕組み。

サイキックエネルギーのマイナスな使い方も実はこれで、誰か、何かに特定の「負の感情」を持つことは、自分から嫌なエネルギーを引き寄せていることと同じことになる。
これは、何度もダウジングで確認していて、どうしてもサイキックエネルギーの負のエネルギーを負いやすい人の特徴的に、「許せない!」「大嫌い」「私には無理」と他者や特定の思想を毛嫌いする傾向がある人によく見られて気付いた。

誰かから負のエネルギーを受けている
というのが、彼らの言い分だけれど、よくよく辿るとそのエネルギーを受けるアンテナを設けているのは自分にすぎなくて、そのアンテナの張り方は「自分」と「その人・その思想を持つ人」を別の存在と分けていることによって生じる。

つまりは、いろんな現象や相手を自分の一部としてみる、何かを教えてくれる存在としてみる・・・という代わりに、「敵」としてみること。

エネルギー的に繊細になればなるほど、これはすごくハッキリする。
逆に言えば、繊細でなければ多分、気づかない。
多分、世の中のほとんどの人は気づいていない・・・
鈍感にならないと生きていけないとでも言うように・・・

そして自分の不調も「敵視」する。
自分の内側のアディなんて関係なくて、不調には薬。どんどん抑圧。
痛みというのは、面白いもので、強い部分があれば、そこが一番痛い。
実際には3カ所が痛いと訴えていても、メインの1カ所しか主に感じない。
本当の痛みがどこにあるのか?どこから来ているのか?謎はどんどん深まるけれど、玉ねぎの皮をむく代わりにさらに重ねるので、その分根本要因は内側へ内側へ入っていく。

内側のアディを探るのは、決して容易ではない。
早ければ早いほど、まだトレースできる・・・のだけど、時間が経てばかなり自覚を取り戻すのに時間がかかる。確信である「自覚」に触れるためには、自分に正直でなければいけないし。心のトリック力はすばらしいし。


ということで、今回の痛みがうまく抜けなかった理由も、アディ。
「こんなエクササイズをヨーガと呼ぶべきじゃない!」みたいな感情でした。笑
自分だって決して一人前じゃないのにね。

ただ、前回の記事を書いた時点で気付いてるはずなのだけれど。
ここがトリック。
いくら頭で気づいていてもダメなのです・・・
心で気づいて、心から解放しないと・・・

うまく伝えられないけれど・・・
心で解放すると、素直に感謝の気持ちが湧き上がってくる。
すべての出会いに。
ああこの学びのためだったんだ・・・って。

世の中に敵はいない。
もちろん理不尽な世の中だと嘆いたり怒りの感情を持つのは容易いけれど、愛で包み込む別の道があるはず。

そうそう、もちろん、怒りスイッチを上手に押してくれるうちの娘に対してもね・・・笑(幸い、身近に娘に対して以上に理解できないわ!と思う人はいない。)

世界の戦争をなくしたいと思うのであれば、身近なところから、戦争をなくさないとーっといつも娘に言ってます。笑 (私が親として、自分の責任として、どうにかしなければいけないと思う感情を大分捨てたので、前よりは平和だけれど。笑)

自分を世界から分離しないこと。
ヨーガの世界観の中では特に大声で語られていないけれど、パリカルマ(心のお洗濯)の最後の切り札、ウペクシャ(切り捨てる)にもこの要素は入っていると思う。

その場から去るとか、関わらないとか、自分を分離している感を含んで聞こえるけれど、本来の意味は相手の尊厳を含む。相手への愛を含む。だからこれはきっと、その場から去るという否定的な感情を持ってUターンする感じではなくて、その場にいても気にならないくらい、愛を持ってすべての存在を認めるばかりに、あえて関わる必要がなくなるんじゃないかなと。もし、「こんな奴に関わっていたら時間の無駄!」みたいなウペクシャだと、「残念でした〜」とばかりに新しいもっと自分の心の平穏を乱す存在に遭うんじゃないかなあと。

敬意=人間愛=コンパッション。
結局はここだわ。

by nu2meg | 2017-08-27 01:58 | ヨーガ

無理すると・・・

4月から毎日1日1−2時間はアーサナという生活をしていて身体をある程度伸ばさないと気分がスッキリしないわーという状態になっているのだけれど・・・

あれは1ヶ月コースが始まったばかりの時。
なんとなく、ちょっと勢いつけちゃってビッとお尻の筋を痛めた?ということがあってから、前屈は非常に苦手になっている。

ヨーガも怪我の元になる時・・というのがあって、そのひとつが動きが雑な時。(丁寧にゆっくり伸ばしてると怪我はしない)しょっぱなから、なるほどなことを学んだなあーと思っていたのだけれど、1週間ほど前に、ローレンスと一緒に彼のヨーガの先生のレッスンを一緒に受けて(2人目。1人目は非常につまらなくただの筋トレだったから、2人目はどうかなと思って興味から・・)さらに身体を痛めた。

4ヶ月ほどどんなにレッスンしても筋肉痛とは遠かったのに、その先生、プッシュプッシュなパワーヨーガというやつだから、フン、効果はいかほどか?と意地になってついてったら、1時間のレッスンだったけど、翌日から超筋肉痛に!苦笑

久々に、気持ちよくないヨーガをさせられて、ああ〜、本当に世の中のヨーガの先生がほぼこんなものをヨーガと呼んでいるのは冒涜だ!なあんて、ちょっと憤慨しつつ嫌な気持ちでいたから(笑)私の感情こそが元凶と言えるかもしれないのだけれど・・・

いやほんと、あれをヨーガと思ってもらったら困る!
インド政府が資格制度を設けてクラシカルなヨーガ理論をちゃんと叩き込んで欲しいと思っているのが痛いほどよくわかった・・・(インドで学ぶからといって、全てがクラシカルではないし、逆にヨーガの真髄を通している流派がいくらあるのか??)

話を戻すと、筋肉痛でひやあー参ったと思っていた私、息子のお休み前の本を読むのにビーンバッグに無造作に座って、それが非常に非常に身体に負荷がかかる形で座っていたようで・・・多分、それが原因でなんだか右側の足の付け根のあたりの筋が変な風に・・・とにかく違和感と前屈による痛みなのだけれど(せっかくほぼ回復してたのにー)とにかくその時は気づかなくて、夜寝る前にいつものようにスーリアナマスカールでスッキリしようと思ったら(朝も、寝る前も、スッキリしたい時はこれ)いやー。痛い!

*筋肉痛でなかったら、体がちゃんとアジャストしてたはず・・自分の体のちゃんとした感覚をなくしたということが問題。

ヨーガの先生にとにかくリラックスしながら血流を良くすべく広げるのが一番とアドバイスされて、そうしているうちに緩んできたのだけれど、この痛みはなぜかポツポツ移動中。たいした痛みではなく、自分が繊細に感じているから余計にだとは思うのだけれど、なんだかここに来てイヤーな感じを覚え、ひしひしと思った。

 もう二度と意地になって、自分に合わないヨーガもどきになんか時間費やさない!

だいたい、自分と向き合う・自分の限界に触れることはヨーガだけれど、自分と戦うのはヨーガじゃない。グループレッスンなら、それがコンペティションや他人との比較での他者との戦いにもなりがちだけれど、本当のヨーガはそういうものではない。

気持ちいい・・・がないヨーガなんて。

しかし、先生ひどかった。
スーリアナマスカール(太陽礼拝)を超高速スピードで・・・といって、全然ポジションごとの型を気にしない。あまりにも酷かったので、「このスピードは無理でしょ?何の意味があるの?ちょっとあなたがこのスピードでどこまでできるのか、やって見せてよ。」と挑発的発言をした私。(さすがでしょ・・・笑)

そのスーリアナマスカールの散々だったこと・・・全くアーサナを習得していない人だとよーくわかった。何一つピシッと決まってない。身体の線も動きも全て。

思わず、「そんなスタイルでアーサナもきちんとできてなくって、ただ早くする意味ってどこにあるのか、私には全然理解できません。」と一言言ってやったけど・・・(彼は私の綺麗なアーサナを見て負けたと思っていたはず。笑)

スーリアナマスカールが綺麗だと、本当に見てても気持ちいい。
エネルギーの流れと、体のしなやかさにうっとりしてしまう。

もし自分がヨーガの先生を選ぶことができるなら、面接でやってもらうなあ。笑(超上から目線)

おっと。クラシカルヨーガ的にはこれも間違った感情。
人の批判なんて・・・ね。
でも、ヨーガにハマればハマるほど、やっぱり伝えていくべきヨーガのスタイルというのがあると思うし、これだけは外せない!

  気持ち良くなければただのエクササイズ。
  イタ気持ちいいとかじゃなくて、気持ちいい。
  毎日しなきゃじゃなくて、毎日したくなるヨーガ。

改めて、自分が追求しているところがはっきりするために、移動し続けるへんちくりんな痛みを体感中です・・・。


by nu2meg | 2017-08-23 01:04 | ヨーガ

義父への追悼

義父がこの世を去って、数週間になりました。

義父はオーストリア生まれでもともと獣医さん。
獣医時代にホメオパシーの良さを知り、レメディも使っていたそう。そして獣医時代にひょんなことから、ダウジングを知った義父は、その面白さにはまり、さっさと獣医をリタイアしてからは、いろいろなエネルギーを発見して、その法則性を見つけ・・・というように、特にアースエネルギー的な分野でのダウジングを得意とするダウザートしてその道では頼られる存在でした。

ヨーガの最終試験が終わったら、書こうと思っていた文章。
6月に英国に行く時に、一緒に読んでもらえるかなと思いつつ心の中では絶対にダウジング協会(個人的に関わりが多かったローカルなデヴォンダウザーにしたけれど)に投稿しようと思っていたもの。

残念ながら、私の試験の数日前に義父が旅立ったので、結局彼とは最後に会えずじまいになってしまったけれど、その文章がこれです。




自分の文章ながら、日本語訳しておきます(脚色入るけど)

入院中にネガティブなエネルギーを浄化することの大切さについて。
ダウジングの恩師でもあり、義理の父である、DRグンター・シュネックを偲んで
                    シュネック倫子 著

去年のクリスマス、グンターの健康状態が芳しくないということを聞いた私たち家族はみんなでデヴォンに集合した。(義兄夫婦の家族が2組と私たち)そして私たちは、実はグンターが長年、膵臓癌を患っていると知らされた。

この文章の読者には彼を直接ご存知な人もいると思うのだけれど、グンターはダウジング、特にアースエネジー分野においてのいろいろな発見に人生の後半を捧げた人だった。実はシュネック家の中で、この彼の専門分野に興味を示したのは、私一人だったこともあって、グンターは会うたびに、本当に、私にいろいろなことを教えてくれた、私のダウジングの師匠だった。

2月のある日、主人が急遽一本の電話を受けた。病院に入院中のグンターが危篤で後数日しか持たないだろうという話だった。私たちは国内旅行中であったにも関わらず、彼一人でムンバイにいったん戻り(書類がないとインド再入国が難しいから)イギリスに家族に会いに行くことになった。彼の二人の兄たちも、それぞれニューヨークから、ウィーンから、家族水入らずの最後のお別れにと家路を急いだ。

この話を聞いて、私が最初にしたのはダウジングだった。
グンタは本当に、危険な状態なのか?
  • 肉体的なエネルギーレベルは?
  • 感情的、精神的なエネルギーレベルは?
  • 彼のエネルギーを妨害している、サイキックエネルギーや、病院に残っている何かネガティブエネルギーがあるんじゃない?

この15年間、グンターのダウジングの教えとともに、ヒーリングを学んできて、私は病気の人が本人の自己治癒力を最大限に活かせない状況の中にいる場合もあることを知っていたので、とにかくいち早く、ネガティブなエネルギーがあるなら、それをクリアにすることが大切だと思った。もしグンターが私の立場で、バランスのとれた状態だったら、彼だって一番最初にそうしただろうことも知っていた。

彼の肉体レベル、そして感情レベルのエネルギーは確かに低かった。
たくさんの、妨害エネルギーが影響していることも明らかだった。

とにかくそのエネルギーを浄化することが私の役目だと、浄化しながら、グンターがまだ生きたいという気持ちを感じていた。・・・というのも、彼の精神的(メンタル)なエネルギーのレベルはまだまだ強かったから。

家族みんなが、グンターの死と向かい合わないといけないと落ち込みモードだった時、私の中には、強いFAITH(絶対的信頼感)があった。彼が回復することをダウジングで妨害エネルギーをクリアにした時に感じた。妨害エネルギーがなくなれば、ちゃんと自己治癒力が働く。そして彼にはまだそのパワーが残っていた。

とにかく、病院内に残っているネガティブなエネルギーというのは半端じゃなかった。もう肉体を去ったのだけれども、どこにいっていいかわからないエネルギー。まだ死にたくないという気持ちと、もう死んでしまいたいという気持ちが相反しながら強く強く残っていて、そのエネルギーは、入院中に「もう死んでしまいたい」と少しでも諦めの気持ちに下がるとスーッと患者に入ってくるかのような感覚。それは、まるで自殺の名所に残っているエネルギーと似ていると思った。「生きてたってろくなことない。もう死んでしまいたい・・・」少しでもそんな気持ちを自殺の名所を通りかかった時に感じていたら、やっぱりそのエネルギーがくっついてきて、「魔がさしたような」自殺をしてしまう現象があるように・・・(*ドラッグやアルコール中毒患者も同じ傾向があります。)

もちろん、病院にはネガティブなエネルギーがあるだろうとは思っていたけれど、それは私の想像を超えるものだった。きっと肉体的な限界ではなく、こういう妨害エネルギーによって、たくさんの命が先走って、不本意な死を向けているんだなという裏?の現実が私には明らかになった。ただでさえ、病気になれば落ち込みがちなのだから、「ふと落ち込んだ時に、入ってくるエネルギー」がいかに簡単なことかは想像できると思う。。。

その後、私は毎日グンターのエネルギーをチェックすることにした。はじめの頃は数時間おきにチェックしなきゃと思わせるほどの量で、どんどんクレンジングした。クレンジングと言っても、ヒーラーとして私がしていたのは、あっちへ行け!という方法ではなくて、手助けを必要としているエネルギーをあるべきところへ還してあげるようにヒーリングエネルギーを送る事。実際には、ちょっとヒーリングが必要な場合の方が多く、すごくシリアスにネガティブという存在はほとんどなかった。質よりも量というか、とにかく寄ってくる数は多かったけれど、浄化していくスピードも早かった。

数があまりにも凄かったということもあって、これじゃあ自己治癒力が働けないから・・・と、私は一刻も早くグンターに退院してもらいたかった。でも同時に、グンターが意図的にこの発見を多くのダウザーやヒーラーに広めるべきだと訴えている気もした。これは、まるで最後のジョイントプロジェクトなようだ・・・と感じながら、毎日エネルギーチェックと浄化に励んだ。

彼のエネルギーレベルが明らかに低い時、私は主人に「今日はちょっとローだったよ」とレポートし始めた。最初の頃は「ふうん」だった主人も、義母と電話で話をすると、私がローだったという日は確かにローだった・・・ということがあまりにも続くので、主人も私のダウジングを信じるようになってきた。

時には、義母の状態もチェックした。なんとなく、義父の感情状態が悪い時にチェックするとやっぱり義母を心配するかのような状態だったので、義母にも病院内に残っている似たようなエネルギーに左右されてバランスを崩しやすいことがわかった。とにかく、自己治癒力を最大限発揮できるようにと思って、ペンディラムを振る日々が続いた。

人生の最期は自宅で迎えさせてあげてほしいと、私は何度も主人に言ってきたけれど、それはもう自分の力で歩くこともできないこの状態では無理だ・・と言われていた。でもとうとう、4月の頭に朗報が来た。
医者としてすべきことはもうしてきたけれど、これ以上は手を施せないということで、退院が決まったのだ。

もちろん、家族の中でそのニュースに喜んだのは私だけだったけれど、心から神様に感謝したい気持ちだった。
この時ほどイギリスの医療システムのあり方をすごく素晴らしいと絶賛したこともないかもしれない。(日本なら確実に、死ぬまで病床ケースだと思う。*イギリスは国民保険的なシステムで医療費が国負担になるので、病院でケアする以上、国家の予算を使うことになるため、自宅へ引き取ってもらってプライベートでケアを入れてもらう方が経費削減につながる)

私が思った通り、病院を離れたらそれまでひっきりなしにクレンジングが必要だった状態が一変した。自宅で自分たちが愛でてきた庭を眺めながら過ごした時間は、グンターにとっても幸せな時間だったと思う。一刻を争うようなアップダウンの激しい状態から抜け出して、彼の病状は安定した。

実は、退院時に義母は「あと数日だろうけれど」という前提で退院に至ったらしいのだけれども、グンターは1ヶ月以上、自宅で余生を過ごすことができた。

ただ、私には一つの疑問があった。
いつまでグンターが私にクレンジングを求めているのか・・。

もし、グンターが私にもうエネルギーの調整をしなくていいよと思った時、私は頻繁にチェックしなくなるんじゃないか?それが彼の意思ではないか?そんな思いが私の中に浮かんできた。そして、そうなったら、それはそれで彼の意思としようと・・・。そういう姿勢でいることにした。

数週間ごとにイギリスに様子を見に帰っていた主人は、5月の半ばにまた戻る予定にしていた。私はなんとなく、グンターはローレンスが帰るのを知っているから、元気に違いないと思い込んでいて、数日間ダウジングをしないでいた。
そして、その日の朝、主人が車でデヴォンに向かおうとしていた時、(インド時間では朝)義母から父危篤のメッセージが入ったと主人からメールが届いた。

その日の朝はいつもよりちょっと遅めに起きたのだけれど、朝一でメールをチェックして驚き、朝一番にダウジングをした。
私はペンデュラムが止まるのを待てなかった・・・明らかにエネルギーレベルが低い。ちょっとドキドキしながら、私はとにかく彼の周辺のネガティブなエネルギーをクレンジングした。でもそれでも今までと違って、状況が明らかな改善を示さなかった。

唯一の救いは、彼の肉体レベル、メンタルレベルのエネルギーは低いけれど、感情レベルは満ちていたということだった。これまでにない、深い深い、優しいヒーリングエネルギーを感じながら、自分にできることをした。

その最期のエネルギーチェックは5月13日のことだった。
グンターは88歳の誕生日を、祖国オーストリアのザッハトルテでお祝いして数日たったばかりだった。

6月に家族で訪問する予定だったから、私はその時にもう一度会えることを深く望んでいたのだけれど、グンターはきっと最愛なる妻、義母のためにこのタイミングを選んだのだと思う。きっとグンターは自分が旅立った時に、義母をサポートしてくれる人がいるその時をベストだと判断して・・・(そしてまだこれから庭にたくさん花が咲くイギリスで一番いい時期に・・)

幸いにも私はグンターが感情的には満ちていた状態で旅立ったということを知っているから、自分の意思で死の時期を選んだ彼を素晴らしいと称えたい。インド人の友達は、スピリチュアルな人間として自分の魂の死のタイミングを選ぶことはそんなに簡単なことではないけれど、一握りの人間にはできる素敵なことだ・・・と言っていた。彼はそんな生き方を意識的にやってのけた魂の存在だと信じている。

グンターは、本当に楽しくてお茶目な人だったから、彼が今頃ニコニコと、歌ったり、冗談言ったりしながら、肉体のない軽くて幸せな魂の存在に戻ったことが想像できる。

私の5歳と12歳の子どもたちは、すでにダウジングに興味を持ってペンディラムを振っていたりする。
今後は私たちがダウジングするたびに、グンターの魂は私たちのガイドとしてふっと寄り添って見守ってくれることに違いない。

愛と感謝の気持ちを込めて。
シュネック 倫子

インドのムンバイにて
2017年5月18日

by nu2meg | 2017-06-08 13:39 | ヒーリング

気の向くままに・・・ 流れに身を任せて。


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