2007年 05月 05日 ( 2 )

私の休日

今朝、ダディとポピーは2人で北デボンへ出かけていった。
2泊3日。私がポピーとこんなに長く離れるのは初めて。

1泊だって離れた事が無いし、ローレンスの方がちょっと心配して、昨日「やっぱり一緒においでよ・・・」と言ったくらい。

私の予定は、友人が来て、明日は一緒にワークショップに行く。
久々の、「私」の休日。

2人が出かけた後、しばらくして部屋に戻ったら、ポピーの服など一式を詰めたバッグが、放置されていた・・・。おいおい・・・。きっと買い物も楽しんでくる事でしょう・・・?
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by nu2meg | 2007-05-05 19:25 | 日常

事故と罪悪感

漠然と「罪悪感」についてまだまだ自分の中で手放す必要があるなあーと、月曜日の朝、思っていたところだった。
世の中は本当にパーフェクト。
そう思った数時間後に、私は車で事故った。

縦列駐車状態(いわゆる路上駐車:合法)から、一旦切り替えして、さてドライブスタート・・・と言う時に、ゴチン!!
後ろから車がぶつかってきて、「どこ見てるんだー!!」という怒りの声が真っ先に耳に焼きついた。

ちゃんと確認したはずだった・・・。
でも、ちょうど角を曲がったすぐの位置だったし、切り替えしている間に、車が完全に死角に入ったのかもしれない・・・。
実はバックミラーが落ちてしまったので、しっかりと見なきゃ・・・と気持ちの上では普段以上に用心していたし・・・ちゃんと肩越しに見たはずだったんだけど。

とにかく、私はよいしょ・・・というのんびりリズムで車を出そうとしたら、ビューンと走ってきた車が当たった。
私は、ただただ、ショックで、とりあえず車から出たとたんに座り込んでしまった。
頭を抱えて・・・(考察するに、この頭を抱えると言うジェスチャーは、飛んで行っちゃいそうな魂を一生懸命にボディに呼び止めている感じ)

相手の口調は、ローレンスが言いそうな口調だった。
車を運転していて、聞いたことが何度かある・・。

でも、車から出てきたその相手は、私が座り込んでいるのをみると、突如優しくなって、「誰も怪我してないから。大丈夫だから。」と声をかけてくれた。(これも、きっとローレンスなら同じだと思う)、私は完全にショック状態。「感情」がついていかない。ただただ、大変なことをしてしまった・・・というショック。

相手の車は、前のウィングが大きくダメージを受けていた。
でも、私の車は特にコレといった外傷無し。
頭の中は呆然。何がどうなったのか・・・。

その夜、ローレンスがテストドライブして、ハンドルをグイグイ回しているうちに、前車輪とハンドルの接続部分と思われるところが折れた(折れていた)ことが分かり、道端で停止したまま、ハンドルが利かなくなり、動けなくなった。結局、夜中に事故車回収へきてもらわないといけなくなるというどんでん返しがあり、なるほど、相手の車は車輪に思いっきりぶつかったと分かった。(道路には1M未満しか飛び出してなかった:つまり、後ろから来た車は、カーブで速度を落とさずにグルーっと回って、私のいた、反対車線がフリーだと思って道路の真ん中を走っていた。私の切り返しも「のんびり」だったから、移動中だと気付かれなかったのかもしれない。相手側がちゃんと走行側を適速で走っていたら問題はなかったのだろうけれど。)

細かい事は置いておいて、車は両方とも保険で直して元に戻るはず。(・・・が、後日相手に確かめると、相手の車はもう古いので600ポンド払うので、直したければ勝手にどうぞという展開になり、うちの車は意外とダメージが大きく、現段階では保険会社が直すか、時価で精算と言う話になってきている・・・決定は保険会社がするけれど。)

手間と時間はかかるけれど、誰も怪我をしなかったのは救い。
幸い、相手の保険会社も同じと言う事あって、どっちが悪い云々の騒動でもないから、幸い相手側もたいして迷惑を被っていない。。


でも、私の「ショック」は時間と共に、感情に届いて、深く眠っていた「いろんな感情」へと広がっていく。
起きたことの「現実」が引き金となって、いろんな気付きがある。

悪い事をしてしまったと、「罪悪感」もある。
でもそれと同時に、ううん、これは起こるべくして起こった私の学びの機会・・・私の中に手放すべき罪悪感が残ってるでしょうというメッセージだから、根本の罪悪感の部分にフォーカスしなきゃ・・・と思う。その日の朝、自分の中に残っている罪悪感について考えていたところだったし・・・。スピリチュアル的に「事故」も「災害」も「偶然ではない」から・・・。でも、「悪いと思う必要はない」というのは、あまりもエゴイスティックで、筋が通らない。自分の中に罪悪感という、不要なモノがあることに気付くけれども、本当に不要なのかという疑問も湧く。


いろんなことは、「罪悪感」で成り立っている。
人々の優しさも、「罪悪感」で引き出すこともある。罵声をあげたドライバーが、ショック状態の私を見て、これ以上怒鳴れなくなったように・・・。
もしかしたら、私はそこまで「無意識下で想定」して、ショック状態になったかもしれない・・・。人は、こうやって罪悪感を利用する事もある。自分でそうしようと意識はしていなくても・・・。考えれば分からなくなる・・・。でも、罪悪感があってこそ、人は自分を戒めて、秩序ができている・・・といっても、不自然ではないのが現実・・・・。


タロットの7ソードは、そのエネルギーを示しているカード。
盗みや裏切りも意味する。でも、うまく利用する事も意味する。そしてその影には「罪悪感」が存在し、罪悪感を持たなくてもいいよ・・・というメッセージとしても出てくる。シチュエーションによってかなり意味が違ってくるので、とっても難しいカードの1つだけれど、ソードである以上、過去の体験が作り上げたもので、サイコロジカルなもの。


事故に遭って、正直なところ、私は混乱していた。
この事故をどう受け止めるかということ・・・。
保険等の現実的な処理は、なんとか進めていても、何か腑に落ちない。
何かザワザワした、落ち着かない部分があって、それが、事故によって引き出された、自分の中に積み重ねられた罪悪感の処理だと分かっていても・・・。

事故の翌日、ヒーラー友達から電話を貰った。

実は世界は「罪悪感」で成り立っていて・・・ でも、罪悪感は持つ必要はない・・・ ということを教えてもらった。
あまりにも話が複雑で、トリッキーで、文字通り捉えると意味が違ってきたりもするので、私自身が深く理解するまでは上手く言えないのだけれど・・・。
1つクリアに言えることは、罪悪感はみんな持っているものだけれど、それに気付いて、手放していいもの。


大切な人の幸せを素直に喜べるように、大切な人と自分の距離は近い。
でも、「他人」の幸せは素直に喜べないこともある。それは自分と他人を「別」だと思っているから。
もちろん、そうではあるけれど、実はそうではない・・・。
みんな繋がっている・・・。

個の主張は、自分と他人を別だとし、自分は他人に負けてはいけないと、下手にあがく。
自分よりも素晴らしい人を羨み、出来ない人を見て、安心する。
常に「比べてしまう」のは、「個人として生きていかねば」と独りよがりでいるから・・・。

大家族が親族のわけ隔てなく暮らしているような原始的なイメージの社会では、他人の個性を素晴らしいと崇め、自分の個性も素晴らしいと崇められる。お互いの存在を心から喜び、お互いに安心する。他人の幸せは自分の幸せになる。(親子は少なくとも生まれて数年の間はこの関係を体験していると思う)そこには、罪悪感は存在しなくても、優しさで溢れている・・・。

話がまとまらないけれど、いわゆる「汝の隣人を愛せよ」というのは、このこと。
隣人を愛せるように、自分を愛しなさい・・・なのかもしれないけれど・・。
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by nu2meg | 2007-05-05 19:00 | サイキック・スピリチュアル

気の向くままに・・・ 流れに身を任せて。


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