母親は、召使でなく、クイーンになりなさい。
2007年 11月 23日
今夜、学校で人智学の医者の話を聞きに行って来た。人智学の医者は、GPでもあるので、いわゆる西洋医学の医者でもある。
なるほどーっと思うことが多かった。
人智学では、体を3つに分ける。
耳の骨が3つ、腕、足が大きく3つに分けられるように、身体も頭・胴体・四肢という風に。
頭は
思考
取り込む場所
過去を司っている。(頭で考えるのは過去のこと)
胴体は、
感情、消化、
循環させる場所であり(頭と四肢をつなぐ)
今を司っている。
四肢は、
動作
発散する場所であり
未来を司っている
そして、思考(頭)と消化(胴体)は逆の働き。
満腹の状態では、思考力がなくなるように・・・。
胴体は、感情を司る。
だから、頭ばかりが働きすぎれば、消化能力に影響が出る。
子どもの腹痛とかも。
例えばの話で、喘息と言うのも出た。
喘息は、息が吐けない。つまりは、『取り込むばかり』。その取り込むというのは、本来は『頭』の仕事。頭が満タンになって、胸部まで下りてきてしまった状態、あまりにいろんなことに注意を払いすぎている・・・とみる。
ちなみに胸部は、肺も心臓も、リズムをつくっているもの。
だから、胸部の疾患は、リズムが壊れている状態とみる。
そして、シュタイナー教育で、日常生活のリズムを大切にするのはここにも理由がある。
思春期までの子どもは、頭にエネルギーを集中させないようにする。
それは、思春期が来た事イコール、内臓が完全に発達したと言う印だから。
思考は、その後でいい。子どもが自分の道を決めいくのは、それから・・・。
それまで、親がリードしていかなければならない。
選択肢を与えずに・・・。
ところが、世の中は、子どもに選択肢を与えろ・・・という流れになっている。
そして、いつのまにか、子ども中心の家庭も出来ている。(やばいっ!)
だから、親は、親らしくあることが必要。
良い母親。悪い母親・・・そんなイメージは誰にでもある。
そして、子どもは「母」を求めている。
ポピーは、みちこという母を求めているのではなくて、「母」を求めている。
「母」であれば、誰でもいい・・・と言えるくらい、「母」が必要で、「父」が必要。
その、母や父が、友達になってしまったら、別の「母」や「父」が必要になる。
母は、母らしく、父は父らしく・・・。というのがポイント。
ここで、医師は1人のオバサンの手を取った。
「この子、うちの娘です。」といって、オバサンの手を引いて歩いた。
そして、止まって、第2の父親になる。
娘であるオバサンの横に座って、オバサンの視線まで目を下ろして、
「何して遊びたい?」と聞く。
みんな、大爆笑。
それがオバサンだから余計に可笑しいのだけれど、やっぱり父は、手を引いて歩かなければいけないのだと、みんな気付かされた。
母は、包み込む存在。
父は、引っ張っていく存在。
そして、母も父も、子どもを導いていく存在。
言葉で導くのではなくて、手を引いて。
家庭で3つ、努力する事と課題が出た。
1) 親がリードすること。
2) 頭に集中していないか、気づいていく事。
3) 環境(子どもにとっては、食べ物と同じくらいの影響力がある)を整える事。
TVや蛍光灯の害を排除 & リズムを作る事
「母親が、1人や2人の子を抱えているくらいで、ストレスだ・・・というのなら、子どもも間違いなくストレスを受けてる証拠ですよ。母であることにストレスを感じるのであれば、自分の時間を少しでも持てるようにしなさい。」
と言う医師の言葉も、そうだよなーっと納得したけれど、「親がリードする事」というのは、もっともっと肝に銘じなければ。
「母親は、召使ではなく、クイーンになりなさい。」とのこと。
帰宅して、ローレンスに言ったら、「ほらみろ、自分は厳しい父で良かったんだ!」と部分的に?肯定されたのを嬉しそうにしていた。確かに、私は甘いんだな・・・
写真のエンジェルは、昨日、羊毛でバザー用に作ってみた。クリスマスのオーナメントにいい名と思って。
昨日のクラフトで、このエンジェル(10センチくらい)よりももっと大きくて、手もあるマザーアース(大地の母)もどきを作ったから、作り方を応用してみた。羊毛細工ってふわふわで気持ちいいし、可愛いし、はまりそうー。(実は今日もうさぎをつくってみた)
なるほどーっと思うことが多かった。
人智学では、体を3つに分ける。
耳の骨が3つ、腕、足が大きく3つに分けられるように、身体も頭・胴体・四肢という風に。
頭は
思考
取り込む場所
過去を司っている。(頭で考えるのは過去のこと)
胴体は、
感情、消化、
循環させる場所であり(頭と四肢をつなぐ)
今を司っている。
四肢は、
動作
発散する場所であり
未来を司っている
そして、思考(頭)と消化(胴体)は逆の働き。
満腹の状態では、思考力がなくなるように・・・。
胴体は、感情を司る。
だから、頭ばかりが働きすぎれば、消化能力に影響が出る。
子どもの腹痛とかも。
例えばの話で、喘息と言うのも出た。
喘息は、息が吐けない。つまりは、『取り込むばかり』。その取り込むというのは、本来は『頭』の仕事。頭が満タンになって、胸部まで下りてきてしまった状態、あまりにいろんなことに注意を払いすぎている・・・とみる。
ちなみに胸部は、肺も心臓も、リズムをつくっているもの。
だから、胸部の疾患は、リズムが壊れている状態とみる。
そして、シュタイナー教育で、日常生活のリズムを大切にするのはここにも理由がある。
思春期までの子どもは、頭にエネルギーを集中させないようにする。
それは、思春期が来た事イコール、内臓が完全に発達したと言う印だから。
思考は、その後でいい。子どもが自分の道を決めいくのは、それから・・・。
それまで、親がリードしていかなければならない。
選択肢を与えずに・・・。
ところが、世の中は、子どもに選択肢を与えろ・・・という流れになっている。
そして、いつのまにか、子ども中心の家庭も出来ている。(やばいっ!)
だから、親は、親らしくあることが必要。
良い母親。悪い母親・・・そんなイメージは誰にでもある。
そして、子どもは「母」を求めている。
ポピーは、みちこという母を求めているのではなくて、「母」を求めている。
「母」であれば、誰でもいい・・・と言えるくらい、「母」が必要で、「父」が必要。
その、母や父が、友達になってしまったら、別の「母」や「父」が必要になる。
母は、母らしく、父は父らしく・・・。というのがポイント。
ここで、医師は1人のオバサンの手を取った。
「この子、うちの娘です。」といって、オバサンの手を引いて歩いた。
そして、止まって、第2の父親になる。
娘であるオバサンの横に座って、オバサンの視線まで目を下ろして、
「何して遊びたい?」と聞く。
みんな、大爆笑。
それがオバサンだから余計に可笑しいのだけれど、やっぱり父は、手を引いて歩かなければいけないのだと、みんな気付かされた。
母は、包み込む存在。
父は、引っ張っていく存在。
そして、母も父も、子どもを導いていく存在。
言葉で導くのではなくて、手を引いて。
家庭で3つ、努力する事と課題が出た。
1) 親がリードすること。
2) 頭に集中していないか、気づいていく事。
3) 環境(子どもにとっては、食べ物と同じくらいの影響力がある)を整える事。
TVや蛍光灯の害を排除 & リズムを作る事
「母親が、1人や2人の子を抱えているくらいで、ストレスだ・・・というのなら、子どもも間違いなくストレスを受けてる証拠ですよ。母であることにストレスを感じるのであれば、自分の時間を少しでも持てるようにしなさい。」
と言う医師の言葉も、そうだよなーっと納得したけれど、「親がリードする事」というのは、もっともっと肝に銘じなければ。
「母親は、召使ではなく、クイーンになりなさい。」とのこと。
帰宅して、ローレンスに言ったら、「ほらみろ、自分は厳しい父で良かったんだ!」と部分的に?肯定されたのを嬉しそうにしていた。確かに、私は甘いんだな・・・
写真のエンジェルは、昨日、羊毛でバザー用に作ってみた。クリスマスのオーナメントにいい名と思って。
昨日のクラフトで、このエンジェル(10センチくらい)よりももっと大きくて、手もあるマザーアース(大地の母)もどきを作ったから、作り方を応用してみた。羊毛細工ってふわふわで気持ちいいし、可愛いし、はまりそうー。(実は今日もうさぎをつくってみた)
by nu2meg
| 2007-11-23 08:46
| シュタイナー