一回目はリップサービス

インドに来てあっという間に1ヶ月半。

とことん。。。1度目でバシっと決まることが無い。

2週間待ったダイニングテーブルは、届いた時には壊れていて、その場で返品。
仕上げの質が思った以上に悪かったので、キャンセルしたけれど、1ヶ月経っても返金されてない・・・

注文した家具などは、配達されたらその日のうちに組み立て・・・ではなくて、数日後に組み立ての人が来るというのが普通らしいから、せっかく届いても使えるまでに時間がかかるのが普通。(そうでない会社もある)

除湿機も注文したら、壊れてたから交換。(インドにもアマゾンがあって、意外に便利!もちろん日本ほどの特急サービスではないけれど)

レンタルしている車も、不調のため交換。

インドには珍しく、うちのフラットの大家さんは、不具合を伝えるとすぐに工事の人を送ってくれたのだけれど、その仕事ぶりは・・・10分あれば・・・という口先の言葉とは裏腹に、数日に及びんだ。

そういえば、家に来てもらっているヒンディーの先生も、一回目の約束は日程間違いしたらしく、来なかった・・・

髪の毛切っても、ふと見たら、左右差に気づいたから直してもらった。

合鍵作るのにも、三回やり直しというのはもう触れたけれど。。。本当にまあ、全てがその調子。

でも不思議と苛立たない私。
インドへの期待感のなさが、そうさせているのか、イギリスのサービスよりも下だと覚悟してきているから、そんなもん、そんなもん・・・と思えるのか・・・

娘ですら言う。「まあ、インドだからね、仕方ないよ・・・」と。笑



ちなみに、ヒンディー語・・・
主人の会社からレッスン受けていいよと言われたので、せっかくだからサバイバルフレーズくらいは・・・と思ってスタートしたら、その先生はアルファベット抜きにフレーズ覚えても、忘れるだけだから・・・と、譲らない・・・

結局、まあやってみるか・・・とヒンディー語の象形文字みたいなアルファベットから習っているのだけれど、発音が凄すぎる・・・ほぼ、濁音。日本語だとダな音も、数通りあって、腹式呼吸で腹の底から発音するような、あまり上品に聞こえない音がたくさん・・・しかも、聞き取れない! 何が違うのー!!ってくらい。

44歳の脳みそには、十分すぎる脳トレ。
そのうち、脳が文字と認識する日が急にやってくるんじゃないか??とちょっぴり自分のシナプスの進化?に期待しつつ・・・ 書けと言えればかけても、自分が書いた文字を急に読めと言われれば、また別で、さらに聞き取って書けと言われれば、それも別・・・言語を学ぶってすごい脳トレ。

ただ、文字を書くのは可愛いからいい感じ。
母音と子音、その組み合わせで規則的。
ちなみに母音の段階で、あ、あー。い、いー。う、うー。え、あえー。お、あお。あん。あは。のバリエーション。
じゃ、じゃー、じ、ジー、じゅ、じゅー、ジェ、ジャエー、ジョ、ジャオー。ジャン、ジャハ・・・って風に。
子音は、厳密には30近いらしい・・・

だから、覚えないといけない部首的には、40そこそこだけれど
音としては、日本語が50音に対して、300音以上って計算に・・・

でも、やっぱり言葉というのは、その文化の基礎になっていたりするので、法則の中に文化が見えたりして面白い。(レッスン中、雑談ばかりしてる私・・・)

例えば、音を表す日本語の 雨がザーザー降ってくる・・
ヒンディーでは、ジャムジャムらしい。(電車の音も、ジャラジャラつけてるジャラジャラも・・?)

この強引に自分の言葉に翻訳しちゃって事実の音と全く違うあたり、日本語と似てる気がする。
文法の順番も同じらしいし。

ちなみにインド国内で喋られている言葉は、なんと2000語とか?(国も巨大だし)
日本でも山があると、そこで方言がこもって特殊になり、その部落にいる限りその方言で・・・という感じだけれど、それだけもともとコミュニティー意識(村意識)が強い社会なんだろうなあ・・・ただ、そのそれぞれの言葉は、まったく違うらしい・・・それってすごいこと・・・さすがは多様性に富んだインドだなあと思う。

結局、英語で通じちゃう環境にいるので危機感も全くない中、いつまで続くやら?
サバイバルフレーズくらいにはたどり着けるかな?
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# by nu2meg | 2016-05-14 00:37 | インド

スラムツアー

数週前に行こうと思っていて行けなかった、スラムツアーに行ってきました。
メモとか取ってないので、記憶がすでに??だけど、曖昧ながらも覚書兼ねて。。。

行ったのは、ダラヴィという世界で第二の規模のスラム街。
人口は100万人!面積はニューヨークのセントラルパークの半分でサッカースタジアムが40個とか言ってた気がする。大きい!けどそれ以上にすごい人の数!ということで、人口密度の高さも世界一規模。

ちなみに最大規模のスラムはというと、パキスタンのカラチにあるらしく、形式的には似ているらしい。

スラムには政府に認証された公式スラムと、無認可スラムがあって、ダラヴィは前者。
インドでスラムの定義は何かというと、「公の土地に建てられた住宅街」らしい。

公式だと、政府から「いてもいいよ」と認められているので、立ち退きは無し。だから建物の素材はコンクリートなど、普通の家に近い。住人として住民登録もされるから、学校にも行ける。

でも無認可だと、いつ撤去を強いられるかわからない。木を組んでカバーが掛けてあるだけの家に住んでいたりするようなスラム街は、明らかに無認可タイプ。住民としても認められていないから、子どもたちはストリートチルドレン扱い。

そしてその線引きは・・・2000年に存在していたか、していなかったか・・らしい。
ダラヴィの一番古い家は130年?とか言っていた気がする。それくらい歴史は深い。

スラム街は大きく、工業エリアと住居エリアに分かれている。
工業エリアに住んでるのは、基本男性と男児くらい(児童の就労はまだある)。彼らは地方出身の出稼ぎ組で、モンスーン期には家族の田舎へ戻るらしいけれど、工場で働き、工場で寝る。工場で寝れば家賃がかからないからというのが理由で、オーナーとしても工場に寝泊まりしてもらえば、朝も遅れないし夜も誰かがいてくれる方が安心というわけ。
そして1日働いて300ルピー(600円)という賃金で、居住地の家賃である3000から4000ルピーは支払えないというのも理由。職種によって、出来高制の縫製業などだと、500ルピーくらい稼ぐ人もいるそうだけれど・・・

基本は、すべて日雇い的な感じ。オーナーはもともとスラム出身だけれど、商売が繁盛したらスラムから出て生活する人が多いらしい。

スラム内での職種は1万ほど・・・というくらい、いろんな職種があって、みんなそれぞれ生活を立てている。中でも大きいのが、リサイクル業。

ムンバイにゴミの分別などあるわけもなく・・・そういう行政が全く手をつけずに済んでいる理由? もしくは行政がスラム街にさりげなく依存してるのかもしれない・・・ゴミをあちこちから集めてきて、例えばプラスティックの場合は手作業で分別、機械を使って砕いて、手作業で洗って、手作業で屋根に干して、色をつけてリサイクル品の原料を生産する。山積みにあちこちに集められたゴミの山・・・

塗料の缶は、高熱で焼いて残ってる塗料を燃やし飛ばし、缶の形を整えれば、新品同様で使える・・・ということで、リサイクル。でもこの塗料を焼くという作業、熱いだけでなく、かなりの有害物質を出すために、明らかに、そのあたりで仕事する人は健康を害す。

それでも、仕事がないよりは・・・と、その仕事をする。
訪問時はたまたま燃やしていなかったけれど、2−3分も通りに入ると、かなりキツイという状況らしい。そしてたまたまそこにいたのは、若い青年だった・・・

その他にも、ベーカリーや、鞄屋さん、革製品を扱う仕事なども垣間見る。
皮に至っては、なめし作業というやはり非常に有害物質を扱う工程があるけれど、その部分だけはあまりに有害なために、今は地方で外注作業ということになっているけれど、リサイクル同様、国内のかなりの割合でそのダラヴィ内で生産。できた革製品は、海外にも輸出されているらしい。

・・・ということで、スラム街は、なんと工業地だったのです。
安い賃金で働く労働者の・・・

なるほど。
ムンバイ人口の60%がスラムに住んでいるのもおかしくないわけだ。

そして居住地区はというと、それはそれは、入り組んだ迷路のような細い細い、人がすれ違えないくらいの隙間の道の両側に、5畳ほどの「家」があって、梯子のような階段で2階建てになっていて、2家族住む感じ(2階は大抵家のオーナーらしい)

そして、そこの住人は、街へ仕事に出かける。
そのツアーガイドのように、地域活性化の仕事をしている人もいれば、普通に会社員も、医者だっているらしい。女性はメイドさんも多いという。

つまりは、居住区に住んでいるのは、普通の人。
子どもたちは、スラム内にある学校に通っている。大人の女性の識字率を聞いたら、多分30%くらいかなということだったけれど、子どもたちは80%くらいだと思うということだった。

スラム内には普通にお店もあって、その中から出ずに生活が十分できる。
子どもたちは、人懐っこい笑顔だったし、スラム内には物乞いもいない分、通常の街並みの風景よりもなんだか清々しい印象すらあった。(物乞い自体、昔よりはかなり減っていると思う)

犯罪率というのも、特に高くないらしく、その理由としてコミュニティー意識の高さだと思うということ。みんながご近所さんで、お互い様で生きている感。ツアーガイドさんもそうだけれど、本当にいい感じ。
社会のシステムに文句がないわけではないけれど、日常の仕事で忙しいし、自分の置かれた立場でそれぞれが頑張っている感じだということも言っていた。

ただ、ほとんどの家にはトイレがなく、スラム内に自宅にトイレがあるのは1%。政府が建てたちょっと高層の集合住宅にはあるらしい。ほとんどの人は、政府が作った公共トイレに行くのだけれど、一つのトイレは1にちに200人以上が使う・・・というくらいの繁盛ぶりで、いつも混み合っているとか。そして、モンスーン期にトイレの流れが悪くなり、氾濫でもすれば、一気に感染病が広がるという悪環境らしく、これが有害物質とともに、スラムの大きな課題らしい。

また、集合住宅は、政府が作ったものの、入居希望者が少ない。
個人宅になることで、プライバシーが守られそうなのに、そうすることで、一気にコミュニティー意識がなくなることというのも、一つの要因らしい。

また、一階を貸せているオーナーにしてみれば、アパートに入れば収入源がなくなるから条件が悪いということもあるらしい。だいたい、居住区に住んでいる人たちは、代々住んでいて、コミュニティーが好きだという感覚でいるので、安くてコミュニティー感のあるスラム街を出たいという気持ちが、私たち外の人が思うほど、強くなさそうだった。(前にお世話になったツアーガイドさんも、結婚したから結局スラムを出たけれど、あまり離れたくなかったと言っていた)

ただし、政府としては大きな敷地を陣取っているスラム街を、コンパクトな高層住宅にまとめて引っ越しさせたい計画があるらしい。その際に工業側は、工場を作ってもらえるのか?と聞いたら、そうなったら工場はもう少し地方に・・ということだった。100万人の8割が賛同すれば・・・・って、ほぼするわけないだろうなあという計画なのだけれど・・・

とまあ、こんな感じで、スラムと言っても貧困層が貧しさを悲観的に捉えてボーッと毎日を過ごしているわけではなく、ごくごく普通でインドらしい風景だった。

一言で言えば、公営住宅地。
安く住める公営住宅に住居を構える。
ただそれが「スラム」という括りなだけ。
そんな感じだった。

でも政府が建てたわけではない住宅地だから、厳密には公営住宅ではない。
住民の意思で作った街に、昔ながらのビジネスがあり、さりげなく政府もそれに依存もしている・・・(政府がリサイクル業者を買収して、国政として補助すれば、彼らの労働環境も、道路や公共エリアの環境も、ゴミ収集の分別だって、もうちょっと上手く循環するんじゃないかと思った・・)

社会保障というシステムがないインドだからこそ、自分たちで工夫して低所得者でも生きるために働く。
イギリスの、甘やかし福祉(社会保障のシステムを逆手にとった非労働者たち)とはえらい違う・・・

外部者の勝手な言い分だけれど、汗水流しながら、清々しい笑顔で日々のために働いている人を綺麗だなと思った。

ツアーを運営しているのは、非営利団体
ツアー料金の8割はコミュニティーに還元されている。
本当にいい仕事しているなあと思う。
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# by nu2meg | 2016-05-06 01:41 | インド

ずっとブログを放置したままにいましたが、私は元気です。

うーん。厳密に言うと、この放置していた期間の最後の1年、ちょうど1年前の春に網膜剥離になってしまって、その後、コンピューターで作業するのが非常に億劫になってしまったのは事実。

私は物ごころついた時には、近視。0.02とかの超ど近眼。網膜剥離体験して知ったのだけれど、近眼だと眼球が歪み、風船を膨らましたようになって、パツンパツンになるので、加齢とともにプチっと穴が空いたり、裂けたりの網膜剥離はかなりの確率で起こりやすかったらしい・・・加齢が原因と言われてトホホではあるけれど、手術の後は数年以内に白内障の手術もしないといけない・・・というので、白内障の手術(人工レンズ挿入)もしたために、片目は裸眼で1.5くらい見えるようになった!(災害対策とも呼んでる)ものの、老眼レベルは80代? 1.5メートルほど先までボケてて、話にならない。これまた分からなかったけれど、遠視もまたとっても不便!

手術してない方の目は、0.02のまま。つまりは、究極のガチャ目状態になってしまって、バランスが悪いったら・・・。術後は3ヶ月ほど、ダテ眼鏡でもいいから、何か視界を「狭く」しないと情報量が多すぎて普通に目を開けているのが辛いくらい。(急激に視力が変化して、脳がリハビリ状態)田舎者が都会に出てきて、渋谷の交差点で人を待っている・・・という感じで、見たいのか、見たくないのかわからないけれど、もう、うようよと存在する人ごみにのまれちゃって疲れるわ・・という状況の3倍以上(数字に根拠なし)疲れる!

おまけにコンタクトを外したら、かけられるメガネも作れず(機械計算上はできるけれど、現実的には左右差が大きすぎて、入ってくる物の大きさに差がありすぎて、脳はひとつの画像を作れないらしい)コンタクトを外すと手元が見えない!0.02だと、iphone読むにも10センチくらいくっつかないと読めないど近眼なので、普通に手元も見たい時は、片目のレンズを外してティッシュで覆った眼帯式?のメガネを愛用。もちろん、遠近感もなくなるので、あれ?ということがちょくちょく起こったけれど、それも結構慣れた。

朝起きてすぐにコンタクト入れるのは嫌。でも片目状態も結構不便だし疲れる。10ヶ月ほど経つと、徐々に朝はまあ、見えなくてもいいや・・・と手元をみれない状態でお弁当を作ることにも慣れ、よく見えないながらも、包丁だって使えるようになっていた。

そのコツは、もう全部見ようとしなくてもいいやんー。
まあ、それなりで大丈夫・・・と思うこと。
開き直ってようやく1年というところ。

それでも、放置していたら失明していた網膜剥離。
黄斑まで剥がれてしまって、歪みがかなりあるはずだけれど、実際のところ歪みはあまり気になっていない。(見ることへの意識がかなり減ったこともあると思う・・・ホメオパシーのレメディーもフル活用してたので、術後の腫れや目やにすらなかったし。) 手術前に視力検査したら、視界が見事半分まーっくらになっていたあの恐怖感を思うと、光の世界に戻ってこれだだけで感謝。

前置きが長くなってしまったけれど、3月末に主人の仕事の関係で、インドのムンバイに引っ越してきました。

19年前のお正月は、バックパッカーを背負って北インドで迎えている私たち(ローレンスと一緒に)。
時は経っても、インドはインドで・・・もちろん多くの人がスマホ持ってたりするところはちゃんと近代化してるんだけれど、なんだかとってもインドなところは全く変わらない、不思議な空気の流れがあるところ。

こんな場所に子どもたちを連れて住むことになろうとは、全く思ってもみなかったけれど・・・
基本的に、「思ってもみなかったこと」は好きなので、そんな流れに身を任せてやってきて、そろそろ1ヶ月。

こどもたちは到着翌日からインター(と言ってもアメリカンスクール)に通っているので、日本語環境から英語環境への移行。でも、転入出が多い学校ということもあって、転入生にはとっても優しいから、スムーズに入っていけました。

そうは言っても、娘は日本語鉛筆書きから、英語パソコン入力ということもあって大変そう。もちろん今までパソコン触ったこともない。ただでさえ英語難しいのに、タイピングの練習からスタート。ちなみに学校は驚くほど全てがコンピューターで管理されてて、先日も息子がちょっと怪我をしたという連絡がメールで入ったし、給食も必要ならネット経由でオーダー。親がクリック1つ忘れたら、大切な情報見逃すという感じ。。。

息子は雨の日も雪の日も完全屋外保育(園舎のない森の幼稚園に通ってた)の環境から、屋内の人工的な空間への移行。実は彼の環境の変化こそが最も大きいかもと思っていたけれど、子どもは馴染むのが早い。お姉ちゃんと同じキャンパスに通っていることもあって、自分の中では「僕は幼稚園ではなくて学校に通っている」という意識で、クリアしているらしい。

スクールバスに乗って、登下校してくれるのも楽。
(往復送り迎えしているお母さんたちもいるけれど、私は時々で十分だわ・・・笑)

・・・ということで、私には一気に自分の時間が!!!
って、喜べるほど、まだ日が経っていないけれど、現実的に、明らかに、今までよりも自分のために時間を使うことができることになりそうなので、ホームページもリニューアルしてブログも再開しようかなーと思っています。(ようやくたどり着いた!)

インドに住んでいると言っても、結局は私たちの暮らしは多くの地元民からすると手に届かない暮らしぶり。お抱え運転手雇って、移動は基本自家用車(厳密にはまだ個人契約スタートしてないけど)、お買い物は高級な(というか西洋ならどこにでもありそうな)ショッピングモールなどがエアコン効いてるし便利だから、行く場所も現地人御用たち・・・とは程遠い。(もちろんそうじゃないお店も行けるし、移動型(車)の八百屋さんやローカルなお店にも入るけど)

メイドさんのいない家というのもあまり聞かなくて、絶対に必要だとみんなに言われる中、とりあえず1ヶ月後にフリーになる同じ建物で働いているメイドさんに、トライアル兼ねて週に3時間だけ来てもらってるのだけれど、私的にはこんな感じでいいやん・・・笑 でもまあ、メイドさんの生活も補償すべくフルタイムで雇うことになるのか?? 

20年ほど前は、細かいことも含めて全てが交渉で成り立っていたから、いちいちと交渉するのが面倒だった感が多いけれど、今はタクシーやオートリキシャもメーター制、モノにもかなり店頭価格というものが印字されているから、日常においては、都市だからというのもあるだろうけれど、普通な感じ。

そうは言っても、娘がバスの窓の外に、動物たちが列を作っていて、その列の先で順番に屠殺されていたのを通学路で目の当たりにしたり、私も車の外をぼーっと見てたら、棺桶に入っていない死体が普通に担がれて運ばれているのを見たりして、もちろん時には物乞いがふらりと車に近寄ってくることなどもあって、生きることの生生しさを感じて、インドだなあーと思うのだけれど。

スラム街はオフィシャルなものも、そうでないものも各地にある。(オフィシャルなスラム街は、ちゃんと子どもたちも学校に行けるけれど、そうでない場合は、住民登録されていないので学校にも行けない)ムンバイのスラム街はアジア最大で、なんとムンバイ人口の半分以上がスラム在住者らしい。どう考えたって凄すぎる!

こんなに蒸し暑くても、エアコンの付いていない家で過ごす人がほとんどだろうし、家らしい家に住んでいる人ばかりじゃない。先日も、お花屋さんがあって、コンポストを・・・と土を求めたら、裏の粘土みたいな赤土を土嚢に詰めてくれたのだけれど、その手前には、キャンプのテントサイズで、テントに似た感じの彼の家があった。

そんな環境の中なのに?だから?、ムンバイの住宅事情はやっぱりカースト制で・・・
なんと家賃が月100万というのも普通。(だからってもちろん、内容は充実してなくてとってもインド!で全く値段相応じゃあない!)場所によっては、300万とかいうのもあるらしい。

いくら東京だって・・・ねえ。。それに300万だったとしたら、設備はスーパーラグジャリーに違いなくてそれなりに値段相応なはず・・・ 

もちろんオーナーは裕福なインド人。
貧富の差の激しさが世界一な場所がムンバイかも?

ただ、私たちが住んでいるのは、新しくて住みやすい街のポワイ。
実際に、混沌としたダウンタウン的な場所に比べたら、非常に綺麗で住みやすい。そう聞かされてたから、初めて来てみたときは、「これでそうなのかレベル」にとってもインドを感じたけれど、住んでみたらやっぱり綺麗かもと思ってしまう。(もちろん、歩くときには犬のフンに気をつけないといけないし、道も凸凹だけど・・・)

さて、とっても快適なホテルに2週間強滞在した後、ようやくおめあてだったマンションに入居できた私たち。初日の夜、私が呆然としたのは、騒音のうるささ! 20階以上上に住んでいるので、音が集まってくるのかもしれないけれど、すごいうるさい!

だいたい、窓がきちんと閉まらない! サッシというものがないのか??
窓自体はダブルグレージング(ペアガラス?)なのに、詰めが甘い! 甘すぎる! っていうか、隙間テープ欲しい。窓をきちんと閉めようとすると、隙間からピューピュー音もする。でも、それよりうるさいのが、外のひっきりなしに止まないクラクションの音。犬たちの鳴き声。。。

うちがあるのは、ムンバイの中では静かな方で、ポワイの中でも静かな方なのに・・・
ムンバイ人口の99%以上が、このノイズとともに、きっとうちで聞こえるよりももっとすごいノイズとともに日常を生きているのか・・・と思うと、気が遠くなった。

ゼーッたいに、無人島に行ったら、静かすぎて落ち着けないだろうなとか、余計なことまで思いつきながら、こんなところで暮らすのかー。家賃高いのに、なんなのー・・・と。。ぶちぶち

・・・そして、3夜目。
お祭りかなんかで、それはもう、とんでもない音量の音楽が・・・夜10時過ぎまでガンガン鳴り響いた・・・
バックパッカー時代を思い出した。そうだった、そうだった・・・なんか時折すごかった・・・あああ。これ日常として付き合うのかあ・・・・(でも、個人的にはアラビックな音楽の方がすごーく苦手なので、ボリウッドはまだマシとか言い聞かせつつ)

そして、その音が止んだ途端、洗礼終了。

     ああー。静か。

実際には、クラクションの音がすごいのに、静かにしか思えない!
もう、騒音が日常の音にしか思えない。
以来、夜寝る前に、うるさいなあと感じていない自分がいる。すごい!

鍵をコピーして貰えば、3つ作ってもらって、1つだけ使用可能。
翌日に2つやり直してもらって、もう一つ使用可能に。
3日目に3つ目をやり直してもらって、ようやく3つとも使えるように!
(もちろん、手作業)

・・・と、こういう世界。笑
笑っていられるうちは、シンプルに楽しめそうです。笑
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# by nu2meg | 2016-04-29 13:03 | インド

ちょっと時差が出来てしまったけれど、最終日のご報告。
(非公開なまま放置しててさらに時差ができてしまいました)


数値的に生理が来ると言われてからもずっと高温期が続いていたのだけれど、ようやく1週間目になって生理が来ました。普段生理痛がほぼないのだけれど、今回は最初がちょっとシャープに!

うわぁ、こんなに痛いなんてやっぱりヘビー?と思いきや、まあ、そんなには変わらない量で痛みも最初だけ。考えて見ると、こういうのは前にもあったかもという気がするので、よっぽど気をつけていなければ、化学的流産っていうのは通常生理と同じに過ぎて行くのだなあと改めておもいました。

結局は卵の力。染色体異常という自然淘汰なので、それはそれで命はうまくできているものだなあと感心しつつ、もし、これが1人目を授かれたかもしれない最後のチャンスだったとしたら、同じようなきもちでは決していられなかっただろうなあーとも思いつつ。。

1週間前に、もう生理が来るでしょうと言われたというだけで、気持ちの切り替えができていることに関して、klcの対応はクールすぎるかもしれないけれど、親切だなあと思いました。

下手に期待させても本当に仕方ないことだし、自然淘汰ばかりはどうしようもない。こういう時の1週間は長いので、(こどもがいれば、日常があっというまだけれど)期待しつつの1週間は厳しいなあと思う。

最終回の血液検査はhcgホルモン値の確認。
まだ生理中だったこともあって、2.5出てました。
医師が、普通に下がりましたね。生理はきました?じゃあ、次の採卵は・・・ときりだしてきたので、「いえ、もう次はいいです〜」とあっさりこたえて終了。

でもこの日、待ちながら息子を連れていて、たくさんの笑顔を患者さんから受けました。
その度に、きっとあなたのところにも、もうすぐ来てくれるはず。がんばってーっと心の中で多くの人にエールを送った私。一回しか使ってないスプレキュア、持ってきてたら誰かにあげられたのにーっとか思いつつ(欲しかったら郵送しますよ。笑 一本5000円だもんね)

実際に、いろいろおしゃべりをした方もいて、その方にも良い結果がでますようにと伝えられました。

私自身も、治療の流れを把握しておこうとブログを検索していてなんどか遭遇したけれど、子連れを見るだけでつらいという気持ち。もちろん、それはある意味わかるのだけれど、シビアかもしれないけれど、他人の幸せを喜べない卑屈さは、やっぱり自分を不幸にしてしまっているなあと思うのです。

良いことも、悪いことも、明日は我が身。

他人の不幸を聞けば、私でなくて良かったではなくて、自分も気を引き締めるとか、その人が身代わりになってくれてありがとうと思うこと。

他人の幸せに触れれば、その人だけずるいではなくて、私にもいい風が吹いてくる兆候だと喜ぶこと(もちろん、単純に喜べるならそれにこしたことはないけど、いいきかせて喜ばなきゃと喜ぶくらいなら、自分も恩恵を受けられるくらいがいいきがする)。

これはこども云々だけでなく、なんでも言えること。
特に、一緒に喜ぶことは、一緒に悲しむことよりも難しい。
二十歳くらいの時にそんなことが書いてある本を読んで以来、私は一緒に喜ぶことを大切にしようと生きてきた気がする…

そんなこともあってか、私の周りは一緒によろこんでくれる友達で溢れていて、私も一緒に喜べる仲間がいることをとってもしあわせに感じています。(私以上に3人目ができなかったことを悲しんでくれた友達もいて!)自分の周りの人間は自分の一部だし、みんなの幸せは自分の幸せだなぁと。



自然なものが好きで、人工的なものが嫌いな私が、超高度医療のお世話になったことに、私自身、最初は違和感もあったけれど、いろいろなものを頭ごなしに否定しないということを身を持って体験したなと思います。そして、息子を授かったということは、彼が与えてくれた「柔軟に生きなさい」というメッセージだったとも思うし、彼が生まれて来るためには私にとって必要だったプロセスだなと。

体外受精という「やってもらう」ことからスタートした子なので、娘よりははるかに「やってもらう」ことが好きで、やっぱりねとか思うけれど。。。笑 (誕生の様子が子どもの性格を表すと言われているのだけれど、誕生よりも先な状態まで管理されてきてる子だもんね、、、)

踏むべきぷプロセスを体験して…という部分はすごく大切だと思う。
タロットでもよーく出るのでわかるけれど、たとえばBというイベントを体験しなければ、Cという懐妊には繋がらず、Aで足踏みしていてもどう回り込もうとしてもダメ。そして多くの場合は、Bを避けることがCを遠ざけている・・・。だから、自分の人生の中に、拒否しているものや人があれば、敢えて目を向けて見る、受け入れてみる・・・ということが近回りに。流れに身を任せるというのが理にかなうなと思うのです。

私の読むタロットでは、恋愛とか仕事とかえらべなくて、全てが総合的に出てくるのだけれど、じつは選べないっというよりは、全てがつながっているから、切り離せないし、事象の出方は違うけれど、じつは恋愛も仕事も家庭も同じ自分のエネルギーで成り立っているので、停滞している部分があれば、それぞれに影響を及ぼす。

プロセスを恐れない。
流れに逆らわない。
自分でコントロールしようとせずに、自分の人生を信じて身を任せる。


42歳の卵子は50個に1個しか赤ちゃんにはなれないそう。(それだけ染色体異常が増えるらしい)
43を過ぎるとそれは100個に1個にまで確立がぐんと下がるらしい。


それでも、自然に子どもを授かる夫婦もいる。
それはやっぱりたまたまではなくて、必然だと思うし、そうなるべくしてだと思う。

生命とは神秘だし、コントロールできるものではなく、むしろ人生はすべてコントロールできるものだというバリバリに仕事もこなしてきた人が、不妊に悩むケースは多いのじゃないかなとも思うのです(ダイレクトでごめんなさい)。でも、不妊治療によってその生き方を間接的に否定され、型が崩れ、天に身を任せるしかないとたどり着いた時にふと懐妊ってケースは多いし。


     治療中のみなさんにも、待望の赤ちゃんがやってきてくれますように心からお祈りして。。。
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# by nu2meg | 2014-10-19 20:09 | 体外受精

3人目ならず

今日はbt8。通常7日目に判定日なのだけれど、どうしても都合がつかず土曜日KLC。
両親が旅行途中に来ていると言うこともあって無駄に時間を拘束されたくなく、初めて7:30オープン前に到着。再診4階へ…と進み、列の最後尾を求めて非常階段を下ること下ること…あっという間に1階まで‼︎ 77番でラッキーな感じ!

でしたが、タイトル通り3人目ご懐妊はありませんでした。
着床すれば生産されるhcgホルモンの値が30切ってました…
BT(移植後)7日目で50欲しいところ。8日目だと100欲しいところ。

アシストハッチングしてたので、継続される妊娠であればもうちょっと高くてもってくらい。

着床した自覚はありました。
経産婦だからだと思うけど、右側に着床して子宮が変化してるのが分かったので。

でも、BT6の夜中にふと、妙な冷えを感じてどきっとして起きたのがちょっと気にはなってました。朝の体温は37度前後を保ってたけど… 思い返せばたまごちゃんの生命力が途絶えたのがその時だったのかも… なのでもしBT7に判定受けに行っていたら、ちょっと微妙な数値だったかもと思います。(きっと昨日より下がって来てるから)

中途半端に妊娠して流産や死産になるなら、私ははじめから無かったことになる方が嬉しいと思っていて、それはたまごちゃんに念じてたので、諦めがつく数値をBT8で判明出来たのはラッキーだったと思います。

それでも医学的には着床をしたので化学流産と言うことになるけれど。化学流産は普通にも多く起こっている(生理がちょっと遅れたかなと言うくらい:妊娠検査薬が出て来る前には一般的じゃ無かっただろうけれど)ので、もしかすると初体験じゃないかもですね…

10日後に経過見には必ず来るようにと言われました。ホルモン値がちゃんとリセット出来てなければ処置が必要と言うことでしょう。心拍確認が出来なかった場合の稽留流産に比べたらリスクはとっても低いと思うけれど。

医師に「数値がとても低いので生理が来ることになると思います」と言われたとき、やっぱりちょっと残念な気持ちがしました。でも、素直にそう思えた自分が嬉しいなと。現実問題、子育ては体力をとっても消耗するし、また1からやり直しはこの先あと少なくとも4年はほぼつきっきりでこどもにエネルギーを費やす… そういう億劫さを思うと何処かホッとした自分もいると思うので。

着床した時点で、女は母になるんだなぁ〜としみじみ。

心は、どっちに転んでもOKと思っていたとおり、哀しいということもなく、ニュートラル。
ようやく少しずつ子育てから解放される時間が増えることで、より自分のやりたいことも出来るんじゃないかなと思うと、保留にして来ている部分を見つめ直す時期かなと楽しみでも。

4年眠っていた眠り姫たまごちゃんはこの世に生まれてくる事はなかったけど、何か大切なものを私に与えてくれた気がします。
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# by nu2meg | 2014-10-04 21:40 | 体外受精

お迎え終了!

b0027781_11203370.jpg昨日、無事にお迎えに行ってきました。
8時半までには来院するようにということで、KLCに到着したのは8時20分過ぎ。
サッサと血液検査をして、待つこと1時間。

「ホルモン値も問題ないので今日移植ですね。凍結胚は時間がかかっているのでアシストハッチングします。判定日は一週間後ですが大丈夫ですか?」

いや、その日は親子遠足だしちょっと無理かなあ・・・と思っていたので一日ずらしても良いか確認。数値的にズレが出てくるので適切な判断ができないこともあるということを承知でならOKと言われる。

アシストハッチングは、着床に当たって、卵子の周りの殻にあたる部分が孵化する仕組みなのだけれど、時間のかかっている胚は着床できる時間をすぎても孵化しない場合があるので、今すぐ着床できます状態をつくってあげること。(息子の時はしなくて良いといわれていたので、移植後2日くらいで着床したと思われる)

そして、その後は12時に渡されたファイルを提出するまではご自由にと。


向かいの野村ビルでコーヒーのんで本読んで・・・その後おにぎり屋さんでおにぎりとお味噌汁のセットを頼んで時間をすごしました。でかいおにぎりだったのに、ついつい3つセットを注文してしまって、軽食OKってかいてあったのに、お腹一杯食べちゃった・・・笑

12時ギリギリだわーっとKLCに戻ったので、9階に着くとすぐに受付にファイルを提出。
・・・すると、次から次へと我も我もと集まってきて、その後長い行列が出来てました。どうやら数分フライイングでファイル提出した模様。。

またまた一時間本を読んで待っていると、培養師さんに呼ばれて融解した胚について教えてもらう。
息子の時に残りがグレードEだと聞いて知っていたので、驚きも落胆もせず。

ここでもKLCにて2人目とあって、サラりと。息子の時は画像も見せてくれた気がするけど・・・あえてお願いもせず、オペ室でご対面でいいや・・・と。

そしてまた、1時間の待ち時間のあとに、とうとう移植へ・・
孵化されたたまごちゃんは、まんまるな透明帯が無いので、ちょっとぼこぼこしているけれど、オペ室のモニター上でも立体的な様子がわかって、グレードEとはいえ、私には生命力のあるたまごちゃんに思えました。

消毒が痛かったと記憶しているけれど、そんなこともなく、優しく・・・カテーテルでたまごちゃんが吸い取られて子宮へ送り込まれました。エコー写真?の右下の白い点がたまごちゃん。

移植が終わって、リラックスルームで10分ほど横になって終了。
お迎えに来ることができて良かったーっと心の底から思えるとじーんとしてしまった。
だって、1ヶ月前はほぼ忘れられている存在だったし!笑
 
子宮の中で数日後に力尽きてしまうかもしれないけれど、廃棄処分ではない。
4年も凍結されていながらも、あったかいおなかのなかに戻ってこられたことにお互いがほっとしたんじゃないかななんて思いながら、あっという間に帰り支度の時間に。

アシストハッチングが2万円ちょっとかかるということで、スプレキュア代、黄体ホルモン剤代をあわせて12万6千円弱。プラス、最後の凍結保管料、半年分約2万円をお支払い。多めにおろして置いて良かった・・・


家に帰って、息子の時と比べてみると・・・

息子の時
グレードB 妊娠率 45-54%
114-123-0-16-3  顕微授精
OV 5
色 赤

ホルモン値
E2 150  
P4 11.4

内膜の厚さ
12ミリ

今回
グレードE 妊娠率  10-19%
114-146-0-19-3  顕微授精  
OV 4.5 (排卵からの日にち)
色 白

ホルモン値
E2 116
P4 11.0

内膜の厚さ
12ミリ

移植時のP4は重要らしいけど、それも内膜の厚さもあまりかわらないから、母体は4年老化しているものの、似たような環境?

胚盤胞になってから、実に32時間もゆっくり自分ペースで凍結できる状態になったようなので(一応6日目杯盤胞だけど、ほぼ7日目やん・・・他のクリニックだと破棄されちゃう場合もあるらしい)まあ、グレードEね・・・ただ、胚の大きさは息子より大きいか。

そんなわけで、すでに受けられるサービスは全て受けつつ、あくまでもわが道進むマイペースちゃんらしい。

どっちに転んでもOKです。
でも、こんな↓ ビデオみちゃったら、今頃胎盤作り始まってるかなあーなんて思っちゃう。ハッチングも確認できますよ!(・・・って、息子もこの卵も突如、採卵されて顕微授精されて、凍結されて・・・と自然の流れとはちょっと違うのだけれど・・・)
タイミングよく、数日前にFBで友達が紹介してくれていました。ミラクルOFライフ
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# by nu2meg | 2014-09-27 12:31 | 体外受精

金曜日に移植ということもあって、せっかくならクリーンな状態でお迎えしたく・・・土曜日まで普通に美味しくお肉まで食べちゃっていたけれど、どこかでどうしてもしておくべきな気がして火曜日の祝日を利用してレバーフラッシュ!

いやあ、おどろきました。
もうほとんど出ただろうと思っていたのに、今回は大漁‼︎
でも、大漁だとほんとうにスッキリ感。嬉しくなります。笑

そろそろ砂状なつぶつぶが出てくるのではないかと勝手に思っていたので、朝それが出た時は(まるでそぼろみたい)やった〜気分でそれだけでも充分だとおもっていたけれど、その後、結構ゴロゴロ出て爽快。

午後からは家族でお出かけしたいというのでどうかなと思っていたけれど、ダウジングするとダブルフラッシュすべきだと出る。(4回目 エプソムソルトの前に、その時間に半量のオイルミックスを飲むというやつ)でも、半分飲むのもなとおもったので、3分の1ほどにして・・・(ぜんぜん問題なかった)

幸い、お出かけ中はもうほとんど石もでていなかったし、一度トイレに行っただけ…
ところが、帰って来てから(しかも外食して来て・・・と、慣れるとちょっとプログラムなめてくる)もうちょっと出てない気がしてエネマしてみたらまたゴロゴロと。

それの、大きいのは2センチ越え。
それは、いろんな色のちいさな粒が集結して大きな管に詰まってましたといわんばかりの様子で生々しい。これまで見た結石の中でこの詰まり方はいやでしょ?という感じです。(もしかするとこれが左の胸の後ろ側で鈍痛を与えてくれていたのかも?前ほどひどくないにしても、確かにここのところちょっと重い気はしてた)

たぶん、ダブルフラッシュしてなかったらこれは今回のフラッシュでは出なかったとおもうので、ダウジングがゴーサインだったのはこれかも?

あと、いつもと違うのは、今回は夜中に目が覚めて(別に気持ち悪いとか全くないのに)しまったこともあって、身体を右下にしたり、左下にしたりしてみた。CUREZONEで実は左下の方が効果的だという記事も読んでたから。

すると、左下にしたときに、胆嚢がクーっクーと音を鳴らしているのがわかった。寝ている状態で浮遊させていると考えたら、ある程度身体を左右に動かすことで、流動的な状態を作るのかも・・・最初の15分は絶対安静みたいな風だけど、途中または朝方にゴロゴロしてみるのは悪くないかも。

20回以上することになるとも思っていなかったけれど、これだけ回数こなしていてもまだこんなに大漁ってすごすぎ・・・CUREZONE情報だと、食べる以上はもちろん溜まるからストーンフリーにはなりえないとう見解もある。でもやっぱり、古そうなのはスッキリとフラッシュさせて、新しく出来たものは空腹時にエネルギーとして使ってもらいながらバランスをコントロールするというのが良さそうな気がする。
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# by nu2meg | 2014-09-23 22:50 | ディトックス

移植日決定

その後の水曜日、移植日決定予定で再来院。
こどもをようちえんに送って、もしかしたら遅くなるかもしれないと伝え、急ぎ足でKLCへ。
小金井公園からだから結構時間がかかった・・・(娘の時は自転車20分だったけど)

いやあ、待つ待つ・・・
でも、こども抜きでお茶して本読んでって贅沢な時間!
なんて思っていたら、一気にどう考えてもお迎えには間に合わないでしょうという時間に。
甘かった〜。

すみません、大幅に遅れてしまいますとメールして、まだかまだかと自分の番号を待つ。
そして呼ばれてさらりと一言。

まだホルモン値が上がって来ていないし卵胞も小さいんで、また4日後に来てください。

ええーっ
ああ、たったの3日でOKなんて甘かった。。。
そしてちょうどお迎えの時間。

今終わったので、小一時間で戻ります‼︎‼︎と、ダッシュ。
先生方もお友達もいっしょに待っていてくれて感謝…


4日後というのは土曜日で・・・
娘はシュタイナー小学生クラス。
主人は、翌日のトレイルラニングレース(60キロ)のために出発。

娘は同じクラスに通う友人に託して、息子はしょうがないので連れて行くことに。
アンパンマン、喜んで見るかと思っていたけれど、診察機とおしたら採血へとサインが出ずにそのばで待つようにと出た。(多分、不備だと思うけれど:連番の人達採血に案内されてたし)結局30分くらい採血まで待たされることに。(はあ。)

子連れ用の待合室、アンパンマンべや(アンパンマンのDVDが延々と流れてる)で待つこと2時間!とりえずこの間は秘密兵器のiPadは隠しておいて・・・内診と診察前に活躍してもらいました。(持ってって良かった。やっぱりああいう場所で騒がれるとこども待ちの人は良い気がしないと思うし)

結果、移植日は6日後の金曜日に決定。

娘を預けた友人ともう一人、娘の幼稚園時代仲間の友人をお泊り招待していたので自宅に戻ったら賑やかでした。・・・が、すっかりスプレキュア18:00というのを忘れてて!どっきり!お風呂に入ろうとした時だったから、もうタオルまいて慌ててスプレキュアへ突進…

しかし、紙がないー。どこどこ??と慌てふためく中、とりあえず、こんな感じだったはずといい加減に点鼻。その間に友人がこれ?と見つけてくれて確認すると、右左右! あっ右左しかしてなかった・・・とへろへろに・・・いやあ、この気合の入ってない風なところが失礼きわまりない・・・と自覚しつつ30分遅れでからまあ大丈夫!と思い出したことそのものを褒めた私でした。笑

日曜日、ちくちく・・・と排卵痛をかんじたのでよしスタンバイOK〜
グレードEの胚盤胞だったと記録していたので(自分のブログで確認 笑)まあ、期待もせず。でもベストなコンディションで臨もうと思ってます。
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# by nu2meg | 2014-09-23 22:11 | 体外受精

4年ぶりのKLC

KLC(不妊治療のクリニック)から半年毎に送られてくる冷凍保存料金の請求書を受け取るたびに、次の請求書が来るまでに決断しなきゃね・・・といい続けてこんなに年が経ちました・・・

冷凍保存されているのは、受精して分割を繰り返して着床を待っている胚盤胞。
クリニックによっては2つくらい戻してみるという選択があるらしいけれど、KLCは多胎児は推奨しないので1個のみ。

もし2個一緒に戻していて2つとも命になっていればもう3歳。
先に残っている方を戻していて、そっちが命になっていれば??

なあんて思うと、破棄するという選択はできないでいて・・・でもかといって、2人でいっぱいいっぱいの状況にもう一人がありえるのか・・なんて停滞してました。

そういえば、生理が戻ってきた時にはさあ戻すか?なんて思ってたけど、その時はまだもっとディトックスしてからとか思っちゃって・・・。


そしていつものごとく?頭の中からあまりそのことについて考えるということがなくなっていた日々を送っていたのだけれど・・・ ここのところ数件続けてタロットの依頼があったので、ふと自分のリーディングもしてみようーっとやってみたら出た・・・

心のどこかでいつかはもう1人?かもしれない?という気持ちがある以上、何も進まない・・・と。
無意識下では悶々と気になってたんだなあ・・・と。
タロットというのは、否が応でも自分を見つめるツールだよなと再確認。

とまあ、気づいたら早いです。
どっちに転んでもハッピーだけど、破棄するのはノーサンキュー。
よし、戻そう!お迎えしよう!と気持ちがスッキリしました。

胚盤胞のグレードは低いし、私ももうすぐ43歳。
そーんなには妊娠率は高くない。
母体年齢よりも卵の生命力が決め手だと思うけれど。

でも・・・生まれてくるべき命なら家族が増えると思うと不思議な気分。
3人目だということで、焦燥感もないしストレスフリーなのはラッキーだと思う。
もちろん、また1からのスタートと思うと「え?それあり?」みたいな気になるけれど(タロットにも出てた)、もし再スタートでもそれは最後の再スタートだもんね・・・。体力的にはきついかもだけれど、なんとかなるはず。


D13は土曜日。昨日行ってきました。
ひさしぶりのKLC。
診察券使えるのかなと思ったけれど、再診のマシーン通したら、時差がかなりあったけれど(笑)ちゃんと出てきた。592番。4年前は一日だいたい500人とかと記憶してたけれど、土曜日半日でも650番くらいまで出てた・・・更にすごい繁盛ぶりだなあ・・・ほんとに。

受付に寄るように指示されていたので行くと(全て変わっててどっちに行ったらいいのやら?状態)カルテを確認するので待つようにといわれる・・・そして待つこと既に30分以上!思わず、忘れられているのではないかと催促に行きました。笑

先が思いやられるー
久しぶりということで、医師とのお話からスタートだそうで・・・5階診療室前で待つようにと言われて行くと、座る場所もなし・・・というくらい混んでて座れるまで15分くらいかかる・・

医師と軽く流れを話して、採血、検尿、内診、最後に医師との話という流れ。
9階にあったカフェもなくなっていた。あんなに人がいたら、確かに座る場所をもっと確保するほうがいいよね・・・でも味気ないパンとかが入っている自販機がおいてあるのみたら、淋しい気も。

支払いまであわせて約3時間半でした。
いろんな検査も含めて1万7千円ほど。KLCでは10万単位の支払いが多いから、慣れると数万で済んだと感じていたけど、久々だとやっぱり高い!と思ってしまった。笑

4日後にもう一度ホルモン値などを確認して、上手くいけばその次(多分その一週間後)にはお迎えです。

たったの3日の来院で済むので楽だと思ってしまう私。笑
でも、よく考えると、「えっ、マジ?」みたいな他人事な自分もいて・・・笑
とりあえず頭でいろいろ考えるのは停止して身を任せてみます。
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# by nu2meg | 2014-09-14 22:31 | 体外受精

あと数日!で仕上げさせなければいけない夏休みの宿題!
ほんとうにもう、お決まりというか、最後までバタバタ・・・な我が家。
今日、英語キャンプ4泊5日から娘も戻ってきました。

日本に住んでいる以上、半強制的にでも英語環境を作らねばということで、このキャンプも3度目の参加。
明日から始業式までの4日間。
実家から帰って来てまる3日間。
イギリスから帰って来て実家に帰るまで(および従妹達が帰って私たちだけになる)5日間。

この12日間が娘にとっての夏やすみの宿題の日。
今回は、終業式翌日から小学校のサマーキャンプ3泊4日、キャンプから帰ってきた日の夜には午前様のフライトでイギリスへという過酷なスケジュールに始まり、睡眠不足で駆け抜けた夏休みでした。

・・・・というのも、彼女は実はすごーく夜型人間で・・・
普段は7時半とか8時に寝ているというイマドキ4年生にはおどろかれる早寝早起きだけれど、それは幼い時からいつ寝ても早朝に起きるから習慣づけさせたもの。

実は徹夜できちゃう人なので、幼い時から飛行機でもほとんど寝ない。(息子は飛行機でもちゃんと寝れる)
しかも、日中はやる気がなくて、夕刻になってから宿題スイッチが入る・・・せっかくなので、休み中だしということで今回、夜型人間OKで宿題してました。笑

といっても、うちの小学校の宿題なんて大したことないのだけれど(しかも、毎日という名目の日記はほとんど無視していらっしゃる)今回は、戦争に関する本もしくは今西作品(ひとつの花を勉強したので)を一冊読んで、あらすじ感想をかくというものがありました。

サマーキャンプ中、2日早く主人と息子がイギリスに行き(キャンプを考慮せずに計画立てちゃってたので主人は先にいく必要があって)私が一人を満喫することが出来たつかの間の時間、むすめのために本屋さんへ。

児童の戦争本コーナーを物色するもいまいち乗り気がせず、ぼけーっと単行本に目をやると見つけたのが、「戦火と死の島に生きる」という本。どう考えても難しそうながらも、ふりがなあるし・・・戦争が広島や長崎だけでない、太平洋の島々も激戦区だったことも知るべきじゃあ? なんて思い、これにすることに。
*今こうやってネットで検索してみたら、中学生から一般へ向けの本だったとわかる・・・ははは・・・ただでさえ小学1年レベルの娘にはありえん選択だったわ。

でも、帰宅した娘に打診すると、「ええーっそんな、大人みたいな本で、しかも死の島とかこわいからやだー」で終わる。 や・・・やっぱりね・・きたいはしてへんかったけど・・・

そして帰国後。
従妹が留守中におうちのお世話も兼ねてきてくれていたのだけれど、彼女とも何がいいかなあーなんて話しながら、ネットで検索していると 当時9歳だった男の子が空腹に耐えられず、つい弟に配給されていたミルクをのんでしまったら、おとうとはやがて天に召された・・・という体験を描いた本があり、年齢も同じだしいいかも!と娘に打診。

すると従姉の子ども(3年生)も一緒になって、「そんなんやだー、戦争なんていやだー・・」となり・・・実は今、日本は結構やばくて戦争絶対しませんって言っていたのを、必要とあらば戦争もしますと言い出してて微妙なんだよね・・・という話に発展。こどもたちはそれは絶対にないでしょ?だめ。誰も望んでない!と半べそ。 (その後、日常生活で「自分だけが正しい」といういいあいが続く以上、大きい社会の戦争はなくならない!」とまで話しは飛躍。実は学校で戦争のことを習ってきた時も、娘の中ではイギリスと日本が戦争したら自分がどうなるのか、ということがすごく気になってしまっていろいろ思うことがあるらしい)

結局、娘としては、弟が死んじゃう話ならば、私が購入した本がいいということになり、一緒に読む事に。
ところが、思った以上にやっぱり難しく・・・ほぼ朗読状態。
まあ、いいや、考えることに意味あるトイウコトにしよう・・・と、ときどき読んでもらってというスタイルですごーく時間をかけて本を読んだ。喉かれるーっといいつつ。

でもそれが思っていた以上に素晴らしい本で、もう大感動。
マザーテレサみたいじゃない?この人!なに、このすごさ!と、内容がすごく実際には生なましかったりするのだけれど、いや、彼女の人間的なすごさに圧倒されて、続きが知りたくてたまらないという感じ。

本もそうだけれど、本当にいいものが有名とは限らなく、まったく無名に近いのではないかと思うけれど(それも失礼ですが・・・お盆休みに実家に持って帰って家族で読み回ししてまたみんなで感動してたのだけれど、戦争モノかなり読み漁ってる兄も知らず)いやあ、本当に本当に、素晴らしい本。

かいつまめば、
著者、静子さんは赤ちゃんの時に南洋開拓移民としてご両親がタヒチ島の隣のテニアン島へ移住。ご家族はすごく苦労をして島を開拓。戦争が始まって自分にもなにができることがないかとタヒチ島へ渡る。その後タヒチも空爆にあいはじめ、民間人はみな山へ逃げるのだけれど、彼女は傷ついた兵士さんたちを看病始める。敵は上陸するが、本人は野戦病院へ行き、看護婦にしてほしいと申し出る。(18歳)玉砕命令が出て、隊長などがどうにかして逃がしてくれようとするが、静子さんは迷いなく手榴弾で玉砕を試みる。でも目の前にいたアメリカ兵に助けられ、収容所に・・・。その後、無数の無縁仏を埋葬してあげる作業まで・・・

戦場に女性がいたということもすごいし、玉砕までしながらも生き残り、数年前まで生きていらっしゃったとうこともすごい・・・。兵士たちの姿勢とか心の中に触れながら。。アメリカ兵すらも日本人の自決した家族を見て涙していたという姿とか・・・ でも何よりも彼女のありさまにすごく感動しました。そして、そんな人だから、まるで神の恩恵を受けるように命を助けられ、奇跡的な再会もし、戦後を生きたのだろうなと思います。(モトモトは古い本なので、もうちょっと早くこの本に出会っていたらご本人の活動にあえたかもとすら思ってしまいます)

ちなみに私は名前すら聞いたことがなかったテニアン島ですが、ここから、あのB29が飛び立ったそうです。
・・・ということで、なにかというと、「そんなことじゃ、静子さんに笑われるよ。」みたいなことを娘に言い聞かせる私・・・笑 自戒をこめつつ。汗


ということで、あと数日です。
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# by nu2meg | 2014-08-27 22:11 | 日常

気の向くままに・・・ 流れに身を任せて。
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