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不思議なコト

土曜日、ローレンスの機嫌は大嵐。
どーしちゃったの・・・と言わんばかりにキレる。
そんな風になることは、たまにしかないのだけれど・・・。

そういう時も、これはローレンスであって、私の一部でもあるから・・・と、比較的穏やかに過ごしていたのだけれど、あまりの酷さに絶句。信じられへん・・・と、冷戦に。笑

日曜の朝、ローレンスがベッド際に来て(腹立ち過ぎて、スペアルームで寝ていた)言った。
「ドアが開けっ放しになってたけど、夜中に開けた?」
夜中にナツメグを呼んで、ポピーを起こしたのはあんたやんー・・・と思いながら、「開けてへん」と言うと、自分は「絶対に閉めたのに。。。」と不思議そう。

その後、それでもツンとしているローレンスの後ろから、「ポピー、ダディはビッグハグが必要だってー!」と、2人で「ゆるしのハグ・笑」をすると、「昨日は悪かった・・・」とあやまりだし、日曜は良い日にしようーっと、家族でおでかけしたり、ほのぼのモードに戻る。

・・・が、夕飯時になって、またローレンスがキレた。
結局、似たような敬意でキレっぱなし放置はしなかったけれど、その際にローレンスが言った。

『これで、またミチコにツケができたから、何でもして欲しい事とかあったら、するから・・・』と。

M 「じゃあ、タロットセッション受けて、自分をちゃんと見てみ!」
L 「それだけ?」
M 「あと、ちゃんと、イライラしている理由を喋って。」

ということで、話を聞いた。

仕事上でかなり大変らしい。
家の改装の件も、ビューロクラシーに巻き込まれているから、進まないし・・・

結局は、「コントロール」。はい、やっぱり・・・。
基本的に、ローレンスは愚痴をこぼした事がないくらい、全てを自分でどうにかするタイプ。話すと余計にイライラしてくるから、話したくない・・・というタイプで、臭いものには蓋をしてしまう。

仕事の内容は、私には理解不可能だから、アドバイスも何もできないけれど、「コントロール」のトリックの話なら、いくらでも・・・と、いろいろ話をした。ローレンスは、ACIMについても、聞きたがりもしないけれど、「コントロール

しようとしても、できないものの方が多い」という話をした。

97%は運命。
3%が可動。

これは、私の勝手な数字なのだけれど、ベースになっているのは、人のDNAは、97%が共通なもので、3%が個性をつくっているという事を10年ほど前に聞いた気がする。初めて、このことを聞いた時はとってもビックリした。

でも実はチンパンジーと人だって98%のDNAを共有するとかいうくらいなので、実際のところ1%程度が個性の遺伝子なのかもしれない・・・。

どっちにしろ、わずかな違い。
でも、みんな個性って大きな違いだと思っている。
同じように、運命は、自分で変えられるものだと思っているし、私もそう思ってきた。

けれど、それすらわずかな可動性であって、本当は変えられない、「さだめ」なのかもしれない。

「変えようとする」そして、「自分がこうしたから、今の自分がある」というのが、エゴの選択。
「さだめ」に身を任せながら、わずかな可動部分を、リアクトせずに学び(ゆるしのきっかけ)とするのが、ホーリースピリットの選択。

逆らっても、自分の頭の中でいろいろ考えて、悩み尽くしても、AがBになるという事実は変わりない。
一生懸命にAをAのままにしようと頑張って、Aの状態を延長させる事は「3%の可動性」で可能であっても、Bへの移行を阻止する事はできないかもしれない。

大きな事故に遭うか、かすり傷をつくるかの差は、3%の可動性の中で、自分が握っている選択かもしれないけれど、「事故」を通して学ぶべきものは、同じなのかもしれない。

「自分」は大きな存在だと思っているけれど、案外にちっぽけな存在でもある。
でもその逆もまた、真なり。
ホーリースピリットの選択をすれば・・・。

そんなことを話しながら、日曜の夜を過ごした。

そして、早朝4時半。
『バタン』とドアが開く音がした。

すぐにローレンスを起こして、「今、ドアが開いた。ハッキリと開いた音がした、」と伝えた。
『また??』

玄関のドアは、昨夜の事があったから、チェーンをかけているといい、それは大丈夫だった・・というのだけれど、私が気になったのは、キッチンの外へ通じるドア。そういえば、あの音そのものだった。ドアがちょっとキツイので、あける時に力が必要で、開くと大きな音がなる。

なんだか気になってしまって、ローレンスに見に行ってもらうと、案の定、キッチンのドアが開いていた。

上記のように、『固い』から、自然に開くなんてありえないのだけれど、2夜連続のドア開放。。。

どーいうこちゃ?? と頭の中は 疑問符だらけ。


ポピーを懐妊した頃、前のフラットで空き巣にあったときの事を思い出した。
『誰かが入ってきた』というのは、事実で、携帯・パソコン・現金が盗まれたのは、事実。
でも、帰宅した時には、すぐにそのことには気付かなかった。

そして、気付いてから、怖くなった。
「すでに起こっていた」ことなのに、気付かなかったら、どうってことない。
鍵をかけ忘れていた庭へのフレンチドアは、きっとその前夜から開いていたのだろうし・・・
知らぬが仏。


玄関のドアが開きっぱなしの日、階段のところに財布入りのバッグをぶら下げていていた。キッチンのドアが開いた日は、、バッグをキッチンへ移動していたという始末・・・。

でも、泥棒が入ったわけでもない。
ただ、 『ドアが開いた』 だけ。


家が戸締りできていない イコール 不安。
これって、自分を護っている 「枠や型」 かもしれない。
本当は、戸締りできていなくても、安心できるくらいの「モノ」が必要だというメッセージ?

なんだかエライ濃い週末で、エゴマインドもアジャストしようとしているからか、先週に引き続き、『ものもらい』ができるわ、1年ぶりくらいに?偏頭痛になるわ・・・。笑
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by nu2meg | 2008-02-27 05:45 | サイキック・スピリチュアル

任せること

昨日の夜、突如目が覚めた。

特にすごい夢をみていたわけではなかったような感じだけれど、「エゴマインド」とそれに直結している、深い恐怖をドンっと感じて、目が覚めた。

自分の中の「深い深い恐怖」ということだけはちゃんと解かっていて、それを認識して手放すためであることも解かっていたから、恐怖に飲み込まれる事はなく、淡々と、何かを整理するような感覚で、自分からは切り離して観察してみた。(抽象的過ぎ?笑)

得体の知れない恐怖に同調はしていなかったから、妙に心地の良い安心感もあったのだけれど、その時に、ACIMで言う、「ホーリースピリットに添う」というのは、こういうことだなーと思ってみたりもした。

ホーリースピリット(聖霊)というと、それだけでも宗教臭いから、なんだかしっくりこないのだけれど、神の子としての存在を認識しながら生きる・・・といっても、更に宗教臭い?(ACIMは無宗教のスピリチュアル哲学・思想?に基づいたモノ) 

天命のままに生きるといえばいいのか、何が起こっても、動じない第三者の自分を持つというか・・・。うまく言えないけれど、「自分の功績によって、今の自分がある」とか、「意志が強いので何があっても動じない」とか言ういう驕りではなくて、もっと全てを大きな力に任せた感じ・・・。


天国と地獄。
肉体を持ちながら、天国の暮らしをするには、上に書いたような大きな力に任せた生き方をすれば到達できるらしい。

地獄はというと、実はすぐ側にある・・・。
私が昨夜ふと触れた、深い深い恐怖は地獄そのもの。
エゴマインドの世界が実は地獄・・・だから、実はこの世こそが地獄とも言える・・・。
(かなりヤバイ聞こえだけどー。笑)

すくなくとも、生きる事が辛くなっている人は、この世の地獄を身一杯で感じているはず。・・・でも、エゴマインドは巧妙なので、「いや、そんな風に思ってしまっては、親不孝であるとか、自分が弱いからだ・・・」とか思ってしまうので、一生懸命に「自分のせいにする(罪悪感を更に背負う)」悪循環を背負う事に・・・。


選択は2つに1つ。
 ホーリースピリットとしての選択(身を任す)
 エゴマインドの選択(コントロールしようとする)

*だから、生きる事が辛いと感じている人がいたら、「どうにかしよう」とせずに、まず気分転換できる、自分が楽しめる事をして、身を任してみればその一時的な地獄からは脱出できるはず。


・・・ということで、またココに繋がる。
私が人生をコントロールしようとして生きてきたように、ポピーもまた、小さいなりにコントロールしようとしている・・(無意識下で)。

母として、「この世は安全な場所だから、心配しないでいいからね。」という思いを伝えたい一方で、それ自体がうそ臭い・・・。もちろん、日常生活の大部分では、心配する事はないし、安心していいはずなのだけれど・・・。「大丈夫」な理由は、この世が安心できる場所だからではなくて、大きな力がちゃんと私たちを護ってくれているから・・・。

ふと、「お母さんがいるから大丈夫だからね。」なんてエゴマインドなことをよく言っていたなーとも気付かされる・・・

まだまだ、地獄に片足を突っ込んでいて、ようやく片足が上がりかけているところだけれど、すこーしずつ、何か今までよりクリアになってきたかな・・・。(これもエゴ?)
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by nu2meg | 2008-02-22 06:16 | サイキック・スピリチュアル

選択肢を与えないのも愛。

ちょうどポピーを独り寝させようと決めた頃に、保育園の先生が「今度、時間を作って、ポピーの成長について話し合う機会を持ちましょう。」と声をかけてくれた。

明らかに、何か「問題」があるのだろうなー。これはクイーンになりきれない私に向けてだな・・・と思っていた。先生は、ローレンスが仕事から帰ってきてからとなると、都合の良い夜にでも、家のほうまで出向いてくれるとのこと。

ローレンスに話すと、それは申し訳ないし、休日には出来ないことをその日にやればいいから・・・と、有休を取る事に。そしてその話し合いが、昨日だった。


つくづく、先生を尊敬したし、あたたかくサポートされているんだなーと感じた。
ポピーも、私たちも。

そして、ローレンスが同席した事で、子育てがサポートしあうものであるというのも、再確認した感じ。

子育ては、それぞれの形があるし、それはそれで良い。
子どもが求めているのは、「母」と「父」、そして「安心」
その「安心」は、両親が家庭をリードしていく事で得られるもの。

なんども聞いていても、自分でリードしたがる娘を持ってしまうと、その部分が凄く難しくて、抵抗しあってしまう。そして子どもにリードさせる事で、それでハッピーだったら良い・・・みたいな風に流れてしまう。

(そこには、「自分自身」のコントロール欲も入ってきているから、すごく複雑なのだけれど・・・この数日間、なおちゃんが遊びに来ていて、集中ヒーリングワークもしていたので、全てがまた、面白いほど繋がっていた。)

先生曰く、ポピーはすーっごく成長した。そして異空間での観察期を終えて、自主的にみんなと関わりたいという気持ちが大きくなってきている。だけれど、多分頭の中でアレコレと考えてしまうから、どうやって関わったらいいか良くわからなくて、ピエロになってみたり、寄かっかってみたり、相手に必ずしも遊びたいという気持ちが伝わらない事があって、相手側は邪魔されていると思ってしまったりもすることがあるらしい。(そりゃそうだ)

そんな、ちょっとすれば些細な事なのだけれど、先生曰く、そこには本人にも分からない不安があって、その不安は、3歳児をリードさせてしまっているからということから起因しているだろうということ。

『自分がどうにかしないといけない』という不安。

確かに、誰かが決めてくれれば、本当は楽なのに・・・。
親は、勘違いして、本人の好きなようにさせてあげている。
そうすることで、責任感の強い子&自分の道をしっかりと歩める子になることは間違いないのだけれど、どこかで得体の知らない不安感を持ち続ける事にもなるかもしれない・・・。

これは、私も、ローレンスも、同じ。
本当は、型にはまって生きる方が楽なのに、ワザワザそうでない方を選んで、でも不安になるから、自分で型を作る・・・。そしてその型に入っている限りは安全ゾーン・・・。

この時期の子どもには、いくら意志は強くても、それを上手にコントロールできるだけの力量はないから、選択肢が多いとかえって不安になってしまう。だから、選択肢は「敢えて」与えないこと。

「そろそろ、帰ろうか?」じゃなくて、「さあ、帰ろうね」
「これ食べたい?」じゃなくて、「これ食べようね」

極力 「説明はしない」。

話をしている時に、ポピーが薄く切った切り株を持って来て、テーブルの上で転がした。
先生は、なにも言わずに、切り株を手にして、ポピーの手を引っ張って、切り株の置いてあるかごまで持っていって、「切り株はここにあるものね」と一言言った。

投げないよ。とは言わない。
怒らない。
極力黙って手本を見せる。

一緒に帰るために、待っていた子がちょっと叩くような場面もあった。
先生はすぐに無言のまま肉体的に止めて、「プレイグループでは、みんな優しい手ですよ」と言った。その子はそれをリピートして、「ジェントル・ハンド」とあったかい声で言った。


ありがとう。も、ごめんなさい。も、この時期の子にはピンとこない。
心からありがとう、ごめんなさいがいえるのは、もっと大きくなってから。

言わせることは大切な事ではないけれど、親が子どもの変わりに、その場に応じた状況で、心から、ありがとうやごめんなさいを言えば、子どもにもちゃんと伝わる。心を込めて言えるようになる。ごめんなさいといえば、なにをしても良いなんて風にはならない。


模倣による学びの時期。
そう解かっていても、エゴと言うのは勝手なもので、自分の都合の良い様にしか解釈せずにいる。

先生と45分くらい話をして、スーっと、とまどいや、迷いが抜けていく感じがした。

先生は『自分もね、1人目の時はナカナカ見えなかったのよ。』とも言ってくれた。そしてわが子のようにケアしてくれている先生なんだなと思うと、本当に嬉しかった。他のお母さん達も、子どのことで迷いがあって、電話したら1時間くらい相談に乗ってくれた・・・と聞いていた。

仕事は仕事。と割り切ってしまえば、こんな余分な事は出来ないもの。
良い先生に恵まれてよかったなと、心の底から思ったのは、ローレンスも同じだった。たった1年しか見てもらえないのがとっても残念!

話があっちに行ったり、こっちに行ったりしてしまうけれど、なおちゃんとのディープなヒーリングセッションの中でもたくさん見えた、エゴマインドのトリック。ポピーはシンプルに、同じ課題を持って来てやってきていると同時に、私たちの鏡。いろんなことが、ディープなレベルで見えてきた。

昨夜、ポピーはローレンスが寝かしつけて、全く起きずにスッキリと目ざめた。
ローレンスの中の揺れてしまう部分も、安定したから?
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by nu2meg | 2008-02-15 21:00 | シュタイナー

約3時間

先週から始めた、車のシェア。
徒歩5分くらいの近所に住んでいるクラスメートのお母さんと、送り迎えをシェアすることになった。

車で5分程度の距離とはいえ、駐車して、ちょっと歩いて、始まる(終わる)まで待って・・・としていると、片道に消耗するのは30分くらいかかってしまう。

月曜は私が休みの日。
先週は、お迎えに私もくっついていったので、今日初めて、約3時間の休息を得た。
ほとんど家事していたけれど、なんて楽なのー!

行きかえりを共にし始めてから、一緒に行っている子とも急接近のポピー。(男の子だから、今まではあまり遊んでなかったと思う・・・)ご近所さんがいて良かったー!
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by nu2meg | 2008-02-05 06:34 | 日常

節分

b0027781_6133844.jpg朝、あずきを炊いた。
いつものように、甘みは塩とデーツとレーズンのあんこを作る。

単に、ポピーが小豆大好きだから、漬けていたのだけれど、そういえば、節分。節分に大福なんて聞かないけれど、福は内だから、「大福」はイケルかもーと。デザートはいちご大福の予定。

でも今日は昼からウェストエンドに出かけていて、帰宅したら5時。
普段、ポピーの夕飯の時間。

太巻きを作る予定は延期して、夕飯は昨日の残りのラザーニャで済ますことに・・・。

大福も面倒になったから、とりあえずあんこでさっと出来る、大福代わり・・・ということで、圧力鍋で、もち米を素早く炊いて、おはぎ・・・。(かなりズレが・・・)

大豆だけは、炒って、ネットでみつけた鬼のお面を夕飯が出来るまでに、各自色塗りして、お面を作った(写真で見るとおり、ポピーは目鼻口書かなかったので、ちょっとのっぺらボーな鬼。しかも、目の位置がずれてて怖いしー)

そして、ちょっと恥ずかしいから、2階の窓から庭へ向けて、「鬼は外ー。福は内ー」。」しました。
ポピーはきっと、鳥やリスにえさをあげているんだと思っていると思うけど。

そうそう。おもしろかったこと。
餡をおこわで包んでいたら、ポピーが言った。
「アンパンマンおにぎり、食べるー!」
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by nu2meg | 2008-02-04 06:17 | 日常

添い寝バイバイ

3歳過ぎてもまだ、親と一緒に寝ている子はイギリスには少ない。

ベッド文化がそうするのだと思うけれど、生まれてすぐに子どもは子ども部屋で、1人で寝るように習慣づけるというのも一般的。

根拠のない話だけれど、西洋人が常に会話でお互いの気持ちを確認しあわないといけないとか、離れている親に、しょっちゅう電話しないといけないのは、「心が繋がっている」という意識がお互いに持てないためで、それは『添い寝がないからだと思うのよね』という話を、ポピーが生まれる随分前に、何人かの日本人の友人が口にしていた。

そうかもーっという目で見れば、西洋には爪を噛む大人が多い!(ローレンスも時々噛む)心理学的に、爪を噛む事は、心理的に『親の愛を求める』とか『安心を求める』ものというから、単純に、淋しくて指をくわえて1人眠りに付く赤ちゃんのイメージが、添い寝しない結果でもおかしくないと思う。


ポピーも1人で寝付けるようにもなって、最初は自分の部屋の自分のベッドで寝るのだけれど・・・たいてい、3-4時間経って、夜中に起きて、私たちのベッドで朝を迎える・・・という日々が続いていた。

大きくなったポピーは、キングサイズのベッドに寝る、デカイ夫婦の空きスペースにはなかなか納まらなくなってきた。そして、スペースが無くて寝られないから・・・と、ローレンスがスペアベッドに移動することもしばしば。。

日本へ帰る前は、あの激しい夜泣きで、1人で寝させるなど不可能になっていたから、オプションはなかったけれど、ここに帰ってきて、落ち着いて、ローレンスが文句を言い始めた。

「そろそろ1人で寝るべきだ」と。
それはもっともだけれど、本人が寝られないなら仕方ない・・・というのが、私の意見。

ところが、3人で川の字になって寝ようとすると、ポピーが眠れない・・・から、みんな眠れない。ダディ抜きの日本があったし、3歳という年からも、「自分」が確立されてきているから、どうも、ローレンスのエネルギーが邪魔・・・と言う感じなのだ。

こっちに帰ってきて、学校のお母さんと話している時に、『シュタイナー的には、添い寝は良くないのよねー』という話を聞いた。睡眠中に大人のエネルギーをシェアしてしまうから・・・だそう。
実際に、私自身の頭の中がうるさい時や、強烈な夢を見た時は、ポピーが起きることも多い事には気付いていたので、寝ているときは、なるべくエネルギー的に邪魔しないように・・・と心がけていたくらいなので、それはすごく納得だった。

その3人で川の字の日は、ローレンスにベッドを出てもらって、万事休す。

でも数日後に、私がメディテーションせずに、うるさい頭のまま寝ようとしたら、ポピーも眠れなくなってしまった。

3歳くらいになって、ようやく「自分が確立する」というのは、それまでは、母親とエネルギーをかなりシェアしている(良くも悪くも)ということなのだけれど、ポピーはもう、私のうるさい頭のエネルギーを「異物」と処理できるようになっているようだと気付いた。

1人で寝させてあげた方が良いんだ。
・・・と初めて、心底思った。

そして「ポピーは今日から自分のベッドで寝てね。もうお母さんのベッドには寝ないよ。」と言って、ポピーのベッドに連れて行った。

『母はクイーンであるべし。』
とはその通りで、そう決めて、伝えたら、泣く事も無く、自分のベッドで寝てくれた。
2日目も、問題なく。

結局のところ、私がポピーの気持ちに耳を傾けようとし過ぎていたのかもしれない。
そして、私の中の、怖い夢を見た時に、一人で寝られない・・・という体験を、ただ単に、ポピーに投影していたのかもしれない。

よく考えれば、もう怖い夢は見ないのだけれど、私の中にまだ残っている漠然とした不安が投影されていたのだと思う。

(内容的に怖い夢でも、夢だと客観的に見ることが出来るし、前にも書いたけれど、死ぬ夢ほどヒーリングなものもない・・・ *本当に死ぬと、やっぱりああやって、光に包まれて気持ち良いのだと思うから、死にそうな夢を見たときには、直前の恐怖に恐れずに、死んで見ると良い。笑)


ちなみに、布団で1人ずつ、一緒の部屋で・・・というのなら、あまり問題はないと思う。問題は、たいていは寝ている間に直径60センチくらいはエネルギーを放出していると考えて、それが重なる距離なのか、そうでないのか。ベッドだと、離れようとすると落ちてしまうから、不可能。


 (追記)
3日目は、夜中に目が覚めたポピー、1人で眠れないー・・・と、2時間くらいは、浅い眠り&ワーンの繰り返し。最初は寝付くまでは側にいてあげて・・・なんてやっていたけれど、あまりに眠りが浅くてすぐに起きてしまうから、最後はもう諦めて寝てよーモード。ローレンスにバトンタッチ。

それでも、自分のベッドで寝るように・・・というのだけは、筋を通してみたけれど・・・。まだまだ1人寝が習慣づくには時間がかかるのかも。
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by nu2meg | 2008-02-03 05:47 | 子育て

気の向くままに・・・ 流れに身を任せて。


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