露骨なタイトルだけれど、大学時代からの
友人、池田幸代が、神奈川県の藤沢市で出馬しました。
彼女にとって初めての選挙ではないのだけれど、だからこそ、頭が下がる思いがする。そして頑張ってーっとエールを送りたくなる。
私は頑張る・・・ということばを日常に使わなくなって久しい。
それは、もう常にがんばってるんだから、これ以上無理して頑張る必要はない・・・と思うから。本当に特別な時しか使わない・・・。
でも、今回の幸には、頑張って欲しい。
頑なに、根っこをしっかりと張って・・・
つまり、何があっても、ゆるぎない、自分のままで、自分を信じて・・・欲しい。
選挙と言うからには、そこには政党という組織があって、勝ち負けもある。
個人の力ではどうにもならないものもあると思うし、個人の意図だけを通せないしがらみもあると思う。全ての人に好かれようと思っても、競争だからそれは当然無理。根っこをほじくろうと企む人の声に全てに耳を傾けていれば、根っこが腐ってきてしまう。
だからこそ、しっかりと根っこを張って・・・頑張って欲しいと思う。
そして、他人の声は無視せずに、葉っぱで聞いて、不要だと思えば、バサバサ落としていくような感じで、そこからまた新しい枝葉を伸ばして言って欲しいと思う。全ては糧になるのだから・・・。
私は大学2年終了時に、1年間休学しているので、大学生活はとっても中途半端。卒業式さえ、船に乗船中で出られなかった。大学は高校規模の社会福祉単科大学(日本社会事業大学)だったので、休学後は常に新しい同級生に『先輩』扱いされたし、現在続いている大学時代の友達との交流も、結局は最初の2年間、一緒に寮生活をした仲間達くらい。幸(さち)はそのうちの1人。
大学時代の彼女は、今よりももっともっとシンプルに直球だけ投げるタイプだった(同類!笑)。でも、人は滅多な事で本質まで変えてしまえないので、きっと今でもそんな素直さをずっと持ち続けつつ、社会にもまれて少しは変化球が投げられるようになっているような気がする。
大学時代から、幸は時間をつくっては新宿に行き、野宿者のボランティアをしていた。
私も何度か参加させてもらったことがあるけれど、地道なボランティア。
飢えをしのぐための、ゆで卵を配っていたら、『馬鹿にしやがってー!』と怒られた事もある。
道行く人の冷ややかな目も、ダンボール側から見た『社会適応者の街』の様子も、わたしはチラッとしか垣間見ていないのだけれど、少しながら良い体験をさせてもらった。さちは、そのボランティアを、卒業しても、就職しても、忙しくても、ずーっと続けている。
誰に頼まれたわけでもなく。
ホームレスというのは、家が無いだけじゃない。
社会から自分を隔離した人。
それぞれには、それぞれの過去があり、シェアしたくない、辛い思い出があり・・・『信頼』という言葉を消し忘れた人々。
でも、彼ら、彼女達に、さちは『信頼されている』と思う。
つまり、さちたちの活動によって、少しずつ、痛んで凍りついた心が溶け、『信頼を取り戻せている』人がいる。そうして、『もう一度社会で頑張ってみるか・・・』と思い直す人もいる。
そういうのを、シンプルに、すごいよーっと思ってしまう。
彼女にはそういう『心をつなごうよ』という意識が高い。
いろんなジャンルの人と、目線を合わせられる人。
どんな人に対しても、決して上から見下ろさない人。
野宿者社会には現代社会の縮図がある。
ホームレスというのは、シンボリックな存在。
心を痛めた人々の存在。
その背景には、家庭・教育・貧困・・・もろもろの現代社会がある。
みんなまるごと、スピンにかけられて、その中心軸に一生懸命にしがみついている人は、とりあえず、頑張れるのだけれど、もう駄目だ・・・と手を離してしまった人は、自分の居場所を見失ってしまっている。元いた場所すらわからない・・・。
家族と言う絆がある人は、しっかりと手を握り合える人がいるけれど、絆の無い人は、どうしてもツルツルの軸から滑りやすい・・・。誰かのために頑張るということも、親に申し訳ないという気持ちも、なくなって、居場所がなくなってしまう。
あくまでもシンボリック・・・だから、実際にはホームレスではなくても、同じような状態で、家だけはある人もたくさんいると思う。通常の会社人として生活している人も、不気味な犯罪を犯す人も・・・『社会的な病』に犯されている人があちこちにいる。
さちが、ボランティアを辞めない理由を直接聞いたことはないけれど、彼女の草の根活動が、10年以上の年月を経て、彼女に訴えているものが、彼女を今回の再度の出馬にまで追いやったのだと思う。
さちはこの数年、議員秘書という仕事をしている(現在は衆議院議員、社民党の阿部知子氏の秘書)福祉出身で議員秘書なんてしている人はあとにも先にも、彼女だけだと思う。そしてそんな友達は私には彼女くらいだろうと思っていたのだけれど、偶然にも別の友達が別口で議員秘書の仕事をしていたことを最近知った。彼はもうその仕事は辞めたのだけれど、政治の道に何故すすまなかったのかと聞いたとき、一言言った。「もともと、ドロドロの世界だとは分かっていたけれど、本当に汚い世界だからねえ・・・。」
それを聞いたとき、ふと、さちはそうは思わなかったのかなーっとも思ってみた。
大学時代の別の友達は、さちが最初に出馬すると聞いた時に、「さちみたいな一生懸命でピュアな人が、政治みたいに汚い世界でやっていけないんじゃないかなー」と言ったのも思い出した。
私は、さちみたいに、ピュアだからこそ、これからの社会に必要とされていると心の底から今でも思う。
政治家になるには、モーティベーションが必要だと思う。
1)富を得るため
2)名声を高めるため
3)社会の変革を手中で治めると言う快感を得るため
4)社会の幸せを願うから
1)が高かれば、公約は後からついてくるもので、4)が高ければ、選挙が後からついてくるもの・・・。そして、4)だけで出馬するような人は、なかなかいないのではないかと思ってしまう。
だって、選挙にはお金もかかるし、ストレスも伴うし・・・。1)-3)に興味が無ければ、失うものの方が大きいだけ。
でも、さちは、どう考えても 4) だけのモーティベーションで再度の出馬を決めたんだと思う。
無名で、一流大学を卒業しているわけでもなくて、35歳の女性で・・・
と聞くと、あまり頼りがなさそうだけれど、そういう肩書きだけじゃなくて、彼女の人柄が多くの人に伝わればいいなあーと願わずにいられない。
いろんな人がいる社会。
その中に、幸みたいに頑張っている友達がいることを、誇りに思うし、励みに思う。