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罪悪感からの開放とスピリチュアリティの本髄


    これでもう、大丈夫。


こんなに、深い深い心の底から感じられたのは、初めてかもしれない。
昨日ワークショップに参加して、実感した事。

私には「伝える」ということが大きな役割の1つのようだから、もう書きたくてしょうがない!(笑)昨日の段階だと、数日間はまとまらないだろうなあーっと思っていたのだけれど、もう、スロートチャクラがウズウズして納まらない・・・から、書き始めることにした。笑。

だけれども、普通に現実に毎日を過ごしている多くのみんなには伝わらないかもしれない。あまりにも唐突で、あまりにもコペルニクスだから・・・。そしてあまりにもトリッキーでもあるから・・・。

    スピリチュアリティの本髄。
    本当の自分。

どう書けば分かりやすいのか、どう書けば誤解されないのか、分からないけれど、私と繋がっている「みんな」の心に・・・魂に、1%でも届けばという願いを込めて、自分のおさらいのためにも、なるべく「普通の人」に分かりやすく書きつけて置きたいなと思う。(まだ「1人」をエンジョイしてるから!)


ワークショップは「真なる自分:ハイヤーセルフ」がテーマだった。
でも、本当のところ、内容よりも、「なおちゃんと一緒にひろこさんのワークショップに参加すること」そのものに、何か(&なぜか)大きな意味を感じていたので、ぶっちゃけた話、内容はどうでも良かった。笑

主催のひろこさんは、1ヶ月ほど前にふと数年間本棚に飾ってあった一冊の本を読んで、「これが真実だ」と気付き、これまでもっていた観念を手放す決意をしたという。「思い出した」という感覚がそうさせたというけれど、参加してみてその気持ちはすごく分かる・・・。

前置きをしておくと、これまでのスピリチャリティというものを覆すようなインパクト「も」あるものだから、スピリチャルとはこういうものであると思っていれば、納得できない人もいるかもしれないし、逆に何がそんなに深いのかわからないかもしれない。それでも、頭の片隅においておく事で、私たちはより自分達の自由を取り戻し、本物の愛と繋がっていく事が出来るはず・・・・。

私は、事故の後に電話を貰った時、少しだけそのことを聞いていた。
そして、罪悪感を手放す・・・ということを身を持って感じるために、あの事故が起こったことも素晴らしい事だなあと思っていた・・・。着々と、準備が進んでいたんだなーと、新たに実感したのだけれど、昨日、本当にすべてがクリアになった。

深い深い、魂としての自分が、じんわりと癒されていくだろう・・・ううん、もっと急速にいろんなことが展開するだろう・・・そう実感した。
そして、なんだかワクワクもしている。


とまあ、それほどのモノ。

  一言で言えば、全ては「赦し」。  そして「勘違い(錯覚)に気づく事。」

世の中は「エゴ・マインド」で出来ている。
「私」と「他人」を区別する、自我。
まあ、実際にそうでないと社会的な生活はできないから、自我が悪というわけではない。

人間として生きていく上で、他者との「一体感」をもっとも深く体験するのは「赤ちゃん」の時かと思う(性交の時もかもしれないけれど、それも分離への恐怖と重ねれば、とってもよく理解できる。レイプなどの犯罪を犯してしまう人が、誰よりも人のぬくもりや、つながりを求めているように・・・)。でもその赤ちゃんですら、子宮の中で既に分離感を持っていて、誕生時にまた分離感で怯える。言うまでも無く、子宮の中での分離感は、魂の世界からの分離。そして誕生時は、母からの分離。それでもなお、しばらくの間、エネルギー的にも母子はかなり親密で「一体」となっているのだけれど・・・深いレベルでは常に分離と言う不安、そしてその奥にある「罪悪感」が存在している。

先に世の中はエゴマインド・・・と書いたけれど、多くの人は「人間はエゴマインド」と理解したと思う。

そこで留めて置いたほうが理解しやすければ、それでいいのだけれど、実は、リンゴもテーブルも、電磁波も、太陽も、宇宙も、宇宙人までもがエゴマインドでできている。だから、私たちがヒーリングを説明するのによく使っているエネルギーと言うのも、意識というものも、すべてはエゴマインドの産物。そして、エゴマインドは、罪悪感と根底で繋がっている。

スピリチャルな本の多くは、世の中は大いなる源である、神が作り出したものと理解し、教えている。でも、世の中はエゴマインド「が」作り出した・・・というのが、その本に書かれている大きな相違点(そういえば俗世というし)。

私たちがいろんなことに限界をつくったり、感じたりするのはその小さなユニバースを、全てであると勘違いし、神の世界だと納得しようとしてできずにいることに起因している・・という。でも確かにそう考えてみれば、なるほど・・・と思える。神が愛そのものであるというのに、争いごとや殺し合いが必要悪だと捉えるしかないのは限界がある。


全てが幻というと、もう頭では理解できないし、かなり頭のイカレタ状態だと思われるだろうけれど、全ては、幻想であり、投影である・・・。
(まあこれは、スピリチュアリティーを語る文献などではお約束なのだけれど。)

事象を対象にすると実感できないので、人間関係で・・・
親子は鏡のよう・・・というのが比較的分かりやすいと思う。
嫌だと思う相手の中には、自分の嫌な面があるはずだし、素敵だと思う相手の中には、自分の良い面があるはず。
こうなったらどうしよう・・・と思っていれば、なってしまうことも多い、「思いどうり」なのがこの世。
思いが現実をつくるというのは、エゴマインドが現実をつくりあげたということ。(まあ、たいていは思い通りにならない・・・と不平を言うのだけれど、深層心理の思い通りになっていることは多い)


そして、エゴマインドの源はというと、それは、「私は罪深き人である」という罪悪感
逆を言えば、それが生まれたから、この世がある。

いわゆる、神、大いなる源・・・の世界には、罪悪感は存在しない。
でも、ちょっと離れてみればどうなるんだろう?・・・と分離を仮定してみた魂が、「やばいことをしてしまった!」「神を裏切ってしまった!」と罪悪感を感じた。そしてそれまでの一体感をなくしてしまった(と勘違いした)魂は、個になって、分裂していった・・・。実際には大いなる存在から、離れていないのだけれど、離れてしまったと勘違い(錯覚)して・・・


原罪や生悪説というのは、私にはどうしても受け入れられなかった感覚。
でも、人は「罪悪感」を巧みに利用して、人を戒めたりもするし、ブラックメールを送ったりもする。先日書いたように、「優しさを引き出す」のも罪悪感であって、私の中では必要悪だと理解するしかなかった。

でも、みんながみんな、「罪悪感」という「罪の意識の幻想」を根底に持っていて、実は人生がそのトリックを通して真我に気付くための修行だとすれば・・・?(原罪では、罪深いからこそ、良いことをすべきというのが、人生の修行と捉えている)

その罪の意識に触れる事は、自分自身への最大の屈辱

 何かあれば、自分を護るために、他者を傷つけて、自分を正当化する。
 もしくは、自分を罰する方が、他者を傷つけなくて済むからと、自己犠牲する。
 あるいは、あたかも他者を擁護するふりをして、他者の罪悪感を攻撃する。

・・・などなど、いろんなカタチで自分の中の深い深い部分のまやかしの「罪悪感」から目をそらし、気付かないうちにそうすることで、更なる罪悪感を蓄積していく・・・。

でも、罪の意識は「幻想」
本来は、分離は起こっていない・・・。

そして、その罪の意識が幻想であることに気付ければ「大丈夫、何も悪いことしていないから・・・ちゃんと、大いなる存在と繋がっている(護られている)から・・・罪悪感は解き放していいんですよ。」ということになる。もちろん「罪は存在しないから、じゃあ何をしてもいいんだ」ということではないのだけれど・・・


話がかなりややこしくなってきてしまったと思うけれど、もっともっとシンプルに言えば、
「分離はしていない」ということに気づく事。
そして、錯覚にともなった「罪悪感」にひとつひとつ気付き、赦す事。

そうすると、「私」も「あなた」も、なくなる。
もっと分かりやすく言うと、「私」が「ローレンス」になにか文句を言う時、それは「私」が「私」に向かって文句を言っているのと同じ。そして、その文句によって感情が乱されたローレンスが、また違う形で文句を言えば、それは、「ローレンス」が「ローレンス」に対して言っていること。そして、その「リアクション」によって生まれた感情は、どんな感情であれ、ずーっと底が「罪悪感」に繋がっている。もっと考察すると、ローレンスに言ったことで、私の中には「あ。言わなければ良かった・・・」という罪悪感が生じ、更に、言い返された言葉にリアクションする事によって、たいていは「怒り」などの感情に繋がるのだけれど、それも根底は見つめてみれば、「罪悪感」。今までの人生で経験した中での、自分への罪悪感・・・。深い罪悪感を隠しておきたいという恐怖・・・。

口論すれば、お互いの罪悪感のエサ箱が充満する。
そして、そのエサ箱は、私のものも、ローレンスのものも、やっぱり同じ・・・。
全ての人の罪悪感のエサ箱は、シェアしているもの。

漠然とした私のイメージだけれど、エサ箱(というより、ゴミ箱?)が、今、処理不可能に近くなっている様に思う・・。

自分の出したゴミくらいは処分しましょう・・・という気持ちで見つめていけば、自分に関わっている全ての人のゴミ処理のお手伝いをすることになる。これは、自分ひとりが空き缶1個拾えば、3個拾うくらいのスピードで・・・。

仲間が3人集まってみんなで1個ずつ拾えば、50個くらい処理する勢いで・・・と言うくらいなモノな気がする・・・。(根拠無し:笑)


ここ数年、一番身近な存在である、ローレンスにもっとやさしくありたいと思ってきたけれど、セルフヒーリングが進むなかで、本当に自分自身にやさしくありたいという気持ちが、私をそうさせていたことに心の底から気付いた。私は自分を正当化もし、犠牲にもなり、罪悪感を感じさせるように攻撃もしながら、ローレンスとの関係をいろいろ見つめてきたりしたけれど、彼は私である・・・そう頭の片隅で理解する事で(現実としてはマテリアルな世界では難しすぎる!)、今までと違ってくるはず。彼が抱えている錯覚や幻想に対しては、もちろん言葉で説明する気は全く無いのだけれど、自分がシフトする事で、彼もシフトしていくから・・・。

ポピーの事もそう。「母としてやってあげたい」と言う責任感(=やっぱり根底は罪悪感)が、どうしても優先していた気がするけれど、罪悪感が幻想であると気付いたことで、何かが大きくシフトすると思う。

ヒーリングも、タロットもそう。ヒーリングは今は物質的な環境のことで、セッションはお断りしているのだけれど、昨夜なおちゃんと交換して、思っていた通り、幻想に気づいた事で更に深いシフトを感じた。タロットも今まで以上に深くなるだろうなーっと楽しみ。


実際には昨日と今日、目に見える部分では何も変わっていない。
でも、私と大切な仲間の中の革新的な意識の大きな変化があった。
自分が「大いなる存在」から護られている安堵感も深く感じた(それでも氷山の一角程度だと思う)し、だからこそ、事故前には充実した「幸せ感」があり、でもその後「事故」があり、全てがあったんだと。綿密なプランに神業を感じる。

シンプルにまとめたいと思いながら、やっぱり複雑になってしまったけれど、今の私が伝えられるのはこんなところ。

とりあえず、日常の自分の中にはびこっている「罪の意識の幻想」に注意して、見つけたら何を投影したものであったか探って、そして赦すという地道で大きな作業を始めるところ。

全てのモノ。仲間達に感謝の気持ちを込めて。
そして、このとっても大切な浄化作業がたくさんの仲間に広がる事を祈って。


 ちなみに気になる?本ですが、どうやら日本語訳(神の使者)も出ています。
 私は英語版 the disappearance of the universeをまだ読み始めだから、本そのものについては多くは語れないけれど・・・。
by nu2meg | 2007-05-07 23:44 | サイキック・スピリチュアル

気の向くままに・・・ 流れに身を任せて。


by nu2meg